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Bellydance Najm Fukuoka

エストニアで踊る

2026.03.17 01:13

コンペ当日の朝、夜中に目が覚め、そのまま朝を迎えた。

完全に眠れたとは言えない。


けれど横になっていても仕方がない。


お湯を沸かそうとケトルのボタンを押す。

反応がない。昨日まで使えていたはずなのに。

緊張している朝に、こういう小さなトラブルはやけに大きく感じる。


一瞬ため息が出たが、私はフロントに電話をした。

拙い英語で事情を伝えると、スタッフが来てくれた。

壊れたケトルを確認し、新しいものを持ってきてくれ、

さらに「ちゃんと動くか確認する」ともう一度ノック。

最後には両手いっぱいのティーバッグとコーヒーまで届けてくれた。

その丁寧さと笑顔に、張り詰めていた心が少し緩む。

温かいお茶が、驚くほど美味しかった。


私はゆっくり準備を始める。


ストレッチをすると、体が思っている以上に硬い。

土踏まずがつり、痛めていた膝裏がうずく。

万全ではない。

でも整えるしかない。


ー12時を過ぎ、メイクを始める。

メイクも審査の一部。

髪型、衣装、アクセサリー、音楽との調和。

昨夜見返した、ダリナが語るコンペへの向き合い方。

舞台に立つ姿勢、審査員や観客への敬意。


完璧でなくてもいい。

誠意だけは欠けさせたくない。


ー3時15分、ホテルを出る。

雨の中、40番のバスに乗る。


窓は泥で曇り、外はよく見えない。

なんとなく、今日の自分の視界のようだと思った。


会場は団地の奥にあった。

ロシアを思わせる建物。16:00会場到着。

クロークにコートとブーツを預け、楽屋へ向かう。


出場者と挨拶を交わす。

「プロ部門の2番目」と伝えると、「応援してる」と言って優しくハグしてくれた。

異国の地で、その優しさが胸に沁みる。

やがて主催者に呼ばれ、舞台へ向かう。


舞台の中央には、ドラムソロチームのメンバーが整列していた。

このチームは、事前にダリナのオンラインレッスン生の中から有志が集まり、振付を覚え、準備してきたメンバーだ。

私もそのレッスン生なので、もちろん声はかかっていた。

けれど今回は、コンペの練習だけで精一杯だったため、事前に丁重に辞退していた。


舞台の中央にダリナが立っていた。

一年ぶりに会うダリナ。

オンラインではずっと繋がっていたけれど、

同じ空間で顔を合わせるのは一年ぶりだ。


彼女は私を見つけると、ぱっと表情を明るくし、

「Oh my dear!」

と名前を呼び、満面の笑みで駆け寄ってきた。

そして、そのまま強くハグしてくれた。

その体温に触れた瞬間、

張り詰めていた何かが、ふっとほどけた。

それから彼女は私の手を引き、メンバーの前へ連れていく。

「This girl came from Japan!」

拍手が起こる。


本来なら、その輪の中に立っていたかもしれない。でも私は、今回はコンペ一本に集中すると決めていた。


やがて本番が近づく。


17:40、靴下とレッグウォーマーを脱ぎ、舞台袖に立つ。

「Professional category Number two. Saori Matsugu.」

自分の名前が響く。

曲が鳴り、細かいステップで舞台へ出る。


ー最初のターン。

得意なはずのターンで、足がもつれる。

何かがおかしい。

頭は冷静なのに、体が思うように動かない。

悪い夢の中のような感覚。

音楽に寄り添うことができない。

音と動きのずれが、肌感覚で気持ち悪さを伝えてくる。

今までで一番ひどい出来だったと思う。

長時間のフライトか。

時差か。

チケットトラブルの消耗か。

それとも、単純に実力か。

理由はわからない。


例え何百回練習でうまくいったとて、たった一回のステージに現れるものが、今の私のすべて。一切の言い訳はきかない。その瞬間に出たものが自分の真の実力なのだ。


私はそう納得した。


思っていたよりも、できていない自分。

そして、世界のレベルの高さ。

簡単には埋められない溝。

でも、それを知るためにここに来た。

悔しさよりも、清々しさがあった。

客席に回り、他の出場者の踊りを見る。

圧倒的な実力。


どのダンサーも強いパーソナリティで、

「わたしはここに居る!!」とステージ上から熱く語りかけ、心を揺さぶってくる。

ハイレベルな闘い、自己表現。

私には足りないものだらけで、

どこか遠い世界の出来事のように俯瞰して観ている自分がいた。


それでも、観客として純粋に、

素晴らしいパフォーマンスの数々に魅了されていた。


その中でも際立って、この人は優勝する、と確信できるダンサーがいた。

赤い衣装で、ドラマチックに、激しく熱くフラメンコフュージョンを踊った黒髪のロシア人ダンサー。


彼女が王冠を手にした。


私は心から彼女の優勝を讃えた。

そして去年ロンドンで一緒のステージで踊ったダンサー達と笑顔でお互いの頑張りを讃え合った。


ーこうして私のエストニアでのチャレンジは幕を閉じた。




不思議と、悔しさや後悔はない。


ただダンスが好き、ダリナが好きという引力に引き寄せられた、様々な国籍のダンサーたち。

ダンスを通して自己表現し、自他ともに尊重し、讃えあう。

日本にいたら感じることのできない、この寛容でおおらかな空気。

この国の、このハイレベルなステージで踊れたこと。

チャレンジを諦めなかったこと。

去年ロンドンで出会ったダンサー達との再会。

楽屋での何気ないやりとり。

全てが私にとって、かけがえのない経験だった。


私は本当に、

こうして不自由な海外に出向いて踊ることが好きなのだ。

今、ここにいる事の悦びをかみしめていた。



雪道を歩き、バスでホテルに戻る。

エストニアの夜の景色。

霧、溶けた雪道、温度、色、匂い。

忘れられない景色になる。


帰り着き、どうしても今の気持ちを伝えたくて、ダリナにメールを書く。

ここまでの道のり。

今日感じたこと。

彼女の教えの答え合わせができたこと。

そして、言葉にできない感謝。

ー送信。

…その瞬間、糸が切れた。

私は倒れ込むように眠りに落ちた