「丁寧な暮らし」のハードル、上がりすぎてませんか?
最近、SNSを眺めていると、ふと息苦しくなることがあります。
流れてくるのは、真っ白なリネン、自家製のぬか床、そして「朝5時に起きて白湯を飲む」といった、いわゆる「丁寧な暮らし」の断片。
もちろん、それ自体は素晴らしいことで、生活を慈しみ、細部にこだわる姿勢には敬意を表したいのですが、ふと自分の足元を見てみるとどうでしょう。
昨夜脱ぎっぱなしにした靴下、シンクに一晩放置されたマグカップ、そして「朝5時」は夢の中で絶賛二度寝中・・・。
なんだか、「丁寧」のハードルが、いつの間にかエベレスト級に高くなっている気がしませんか?
「丁寧」の定義がスパルタすぎる件
本来、丁寧な暮らしって「自分が心地よく過ごすための工夫」だったはずですよね。
それがいつの間にか「他人に見せても恥ずかしくない、洗練されたライフスタイル」という競技にすり替わっているような気がしてなりません。
豆から挽くコーヒー:余裕がある時は最高なのですが、寝坊した朝にそれをやったらただの修行。
作り置きおかず:日曜の午後にキッチンに立ち続ける体力があるなら、私は昼寝を選びたい。
ミニマリズム:モノを減らしすぎて、結局必要な時に「あれどこだっけ?」と探す時間は、果たして丁寧なの?
今のトレンドが求める「丁寧」は、ちょっとばかりストイックすぎて、私たちは修行僧ではなく、日々を必死に生きる現代人だということを思い出したいですね。
令和版・「ズボラなりの丁寧」のススメ
ここで提案したいのが、もっとハードルを下げた「低空飛行の丁寧な暮らし」で、キラキラした写真は撮れないけれど、自分の精神衛生を守るための、ささやかなルールとして、こんなのはどうでしょう。
- お気に入りのカップでカップ麺を食べる」
忙しくて自炊が無理な日でも、せめて器だけは好きなものを使う。これだけで、罪悪感が「あえての選択」という貴族の遊びに変わります。 - 脱いだ靴を揃える。それだけ。
部屋が散らかっていても、玄関の靴さえ揃っていれば、帰宅した瞬間の絶望感が5%くらい軽減されます。 - スマホを置いて、3分だけ窓の外を見る
デジタルデトックスなんて大層なことは言いません。カップ焼きそばのお湯を切るまでの間、ぼーっと空を見る。これ、立派なマインドフルネス。
完璧よりも「ご機嫌」を
私たちは、ついつい「正解のライフスタイル」を追い求めてしまいがち。
でも、誰かが決めた「丁寧」の型に自分を押し込んで、イライラしながら白湯を飲むくらいなら、ガハガハ笑いながらコーラを飲む方が、よっぽど心豊かな気がします。
生活は、誰かに採点されるテストではありません。
「今日は靴下を洗濯機に入れた。えらい!」
それくらいの自己肯定感で生きていくのが、今の時代、一番「丁寧な」自分への扱い方なのかもしれません。
さて、今夜の私は「丁寧に」デリバリーのピザを頼んで、お気に入りの皿に移し替えずにそのまま食べようと思います。
だって、洗い物が出ないのが、今の私にとって一番の「心地よさ」ですから!