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にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険   ~エクリチュール~・第1話『日傘を持つ女』

2026.03.21 02:59

 先日、アーティゾン美術館で催されているクロード・モネ展に行ってきました。予想を遥かに超える盛況ぶりで、平日にも関わらず大変混雑していました。売店では図録が売り切れているという有様で、僕もこれまでかなりの数の美術展に足を運びましたが、こうした事態は初めての経験です。完全予約制による人数制限があるとはいえ、ゆっくりと絵に対峙できる状況ではありませんでした。

 多くの来場者は、モネの代表作の一つである『日傘を持つ右向きの女(戸外の人物習作[右向き])』を目当てに来館したのでしょうが、なぜこの作品は、これほどまでに多くの人の心を掴むのでしょうか。一般的には「空気感」や「透明感」、「爽やかな風」といった感性的な評価が主です。確かに白と青、草々の緑が織りなす配色は爽快で、筆のタッチは雲の流れや草のたなびきに、確かな風の動きを宿しています。

 しかし、この絵はそれだけの理由で人々を惹きつけているのでしょうか。私はこの絵の主題の一つである『日傘』というガジェットに注目しました。

 日傘を字義的に捉えるなら「直射日光を浴びるのを防ぐ」道具ですが、作品世界ではそれとは別の、メタファー的な記号が与えられているのかもしれません。

 ここで、ある小説の一節を引用させていただきます。村上春樹の『1Q84』Book3からの引用です。

「彼女は歩けるようになるとすぐに、母親について布教活動をおこなっている。戸口をまわって教団のパンフレットを手渡し、世界が避けがたく終末に向かっていることを人々に訴え、集会への参加を呼びかけるのだ。(中略)相手はたいてい中年の女性で、帽子か日傘を手にしている。多くは眼鏡をかけ、賢い魚のような目で相手をじっと見る。子供を連れている場合も多い」

 この物語の主人公である「青豆」は、「証人会」という新興宗教にのめり込んだ親により、幼少期に、教義に則った苛烈な育てられ方をします。この教団は実在する宗教団体をモデルにして描かれていますが、あえてその名は伏せておきます。僕の家にも過去何度となく勧誘が訪れたことがあります。白いワンピースを着た女性が子供を連れ、その手に日傘を持つ姿は、まるで幽霊のようで、一瞬ギョッとします。なぜ彼女たちはその手に日傘を持つのでしょうか? 

 教団の人間にとって、俗世間は〝汚れ〟や〝悪〟が蔓延した堕落した世界なのでしょう。しかし、勧誘活動のためにはその俗世と対面しなければならない。その際、外界の不浄から身を《守る》ための象徴的なガジェットとして、彼女たちは日傘を携えているのではないでしょうか。

 では、モネの描いた『日傘を持つ右向きの女』も、何かから自身を守るために日傘を差しているのでしょうか。私は、むしろ作者であるモネの方にこそ「守りたいもの」があったと考えます。

 作中の女性はモネの最初の妻カミーユがモデルとされていますが、その顔はぼやけて描かれています。まるで、一番幸せだった時の記憶が輪郭を失っていくかのように。

 幸せな一瞬をそのままパッケージしようとしても、時間とともに記憶は風化します。すなわち、幸福な記憶の最大の敵は『時間』です。モネは、時の経過とともに薄れゆく記憶に、絵筆をもって抵抗したかったのではないでしょうか。カミーユ、そして自分自身を時間から守る――日傘はその〝コノテーション〟として描かれたのかもしれません。モネのその純粋で切実な想いが伝わるからこそ、この絵は今も人々の心を掴んで離さないのでしょう。

 政権与党がカルト教団と癒着し、ファシズム的傾向を強めている現在の日本において、果たして何が我々の自由や人権を守る象徴となり得るのでしょうか。もはや日傘では防ぎきれないほど、軍靴の気配が近づいているように思えてなりません。

 そんな危惧はお構いなしといった様子で、チャーリーはお布団の中で小さないびきをかいて寝ています。〝汚れ〟や〝悪〟に抵抗できるのは、案外、この猫のような、どこまでも純粋で高潔な心なのかもしれません。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。