国によるピアニズム、音楽の異なり
こんにちは。
音楽家の純子マッサーリア
Junko Massagliaです。
いきなりですが、ご自分のピアニズムは○×(系統)です、と知っていますか?
日本の場合は、だいたいドイツ系、オーストリア系、フランス系が圧倒的だと思います。
最近はそこにロシア系ですかね。
イタリア系はまだまだ僅かです。とはいえ、これに関してはまた別の時に説明しますね。
でも、それらって演奏を聞いてどこ系だ、って聞き分けることはできますか?
どれだけの日本人がそれを理解しているのか、本当に疑問です。
最近私が感じたいくつかの例を書いてみようと思います。
フランス人が演奏するリストの小品
ロシア人が演奏するシューマンの小品
ドイツ人が演奏するシューマンの小品
ロシア人が演奏するベートーヴェンの作品
ハンガリー人が演奏するベートーヴェンの作品
イタリア人が演奏するシューベルトの作品
フランス人か演奏するフランスの小品
韓国人か演奏するフランスの小品
中国人が演奏するショパンの小品
書き始めるとキリがないのですが、面白いことにそれぞれのお国柄が音楽に実に反映されています。
そうしたら、日本人は?
日本に限らずに世界的な流行というのもあって、現代では以下のよう。
静けさと激しさが見える演奏(急緩)
強弱の差が極端にわかりやすい演奏
この二つを持っているピアニズムは、圧倒的にロシア系に聞き取れますね。
現代の生活を見てみると、結果が瞬時にわかる日常に慣れてきている現代。
強いか弱いか、豊かか貧しいか、AIを使えば頭使わなくても答えがわかる今日、インスタントな情報が巷にはあふれている。
なぜ、各国から生まれた多くの曲が、国という色を消されてしまう演奏に観客は大いに湧くようになっていったのか?
フランス人の演奏するフランス語そのものの響き、イタリア人が演奏するイタリア物の職人的な色、ロシア人が演奏するロシア物の規模の大きさ、ドイツ人の演奏するドイツ物の構築の見える響き、ハンガリー人が演奏するハンガリー物の民族色、他。
そういうのが感じられる演奏は水のように自然。
それがいつからか、音楽は世界の共通語という都合のいいキャッチフレーズでもって国色が失われつつある。
芸術が芸術でなくなる瞬間は、そう遠くないのかもしれない。
芸 と 術 が離婚してきているのだな。
つまらない。
”速く間違えず演奏する技術”と、”音楽を表現する技術”は別物であるべき、と思う。
残念ながら、前者が長けている人ほど現代は”ピアニスト”と呼ばれる時代に近づきつつある。
特に日本語を話す日本人は、ハンディを持って西洋音楽をやっている、と思える。
耳が、西洋音楽を知らないのだから。
同じアジア人でも中国人や韓国人は、やはり大陸の民であるゆえに、日本人と耳が違う。
耳って大事。
それによって音楽が大逆転してしまうのだから。
耳は、国を反映する。