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やまもとピアノ教室

音楽療法

2019.03.11 01:13

昭和音楽大学で、アメリカと日本の音楽療法学会認定音楽療法士でいらっしゃる羽石絵里先生の講座を受けてきました。


ご自身も重度障害と共に生きるご家族をお待ちとの事で、経験則に基づいた思想を含め拝聴させて頂き、とても大きな学びとなりました。


今回は「音楽とウェルビーイング」という講座内容。


「ウェルビーイング Well being」というのは、1946年世界61ヶ国の代表により署名された世界保健機関憲章の前文において「健康」の定義に用いられた言葉です。

健康とは単に病気ではない事や、虚弱ではないことを指すものではなく「身体的」「精神的」「社会的」に満たされた状態を意味するそう。

近年では、本人自らがその望ましい状態をどのように考えるか、という視点が重要視されている。


そして、ウェルビーイングに対して重要なのが「レジリエンス Resilience」

レジリエンスとは、障害の有無に関わらず、健やかに生きる力。

「外的な衝撃に耐え、それ自身の機能や構造を失わない力」という意味。


この2つの言葉を元に、2016年に神奈川県相模原市の知的障害者施設やまゆりで起きた戦後最悪の殺傷事件を取り上げ「障害者と健常者がともに生きるとは?」を考えました。


この事件の根底には「私達自身の自己否定がある」と仰っていらっしゃいました。

誰もが個人として存在するだけで尊厳を持って生きる事、を否定する「基本的人権の否定」

そしてそれは経済価値だけで人間を見ているということに繋がる。


やまゆり事件での被害者名が異例の非公表だったところに、様々が配慮があったにせよ、少なくとも障害者に対する社会の差別意識が反映されているのではないか、と。

その差別はいずれ障害者だけではなく、障害者以外の差別(子供のいない夫婦・認知症や寝たきりの高齢者など生産性のない者)を増長する危険性があると。


超高齢社会(どんな人も生産性のない、不要とされる不安を抱える社会)となった現代では、誰もが弱者となりうる。


認知症は知的障害と似た症状。

脳梗塞は麻痺(車椅子)や失語症。


どんな人もイケメンも美人もアスリートも教授も億万長者も誰もが、交通事故・突然のリストラ・ストレスからの鬱病・災害に巻き込まれて生活が一変、し明日にでも弱者になりうる。


障害を否定するということは、いつか必ず訪れる自分を否定(自己否定)するということ。


障害や他者を認め、自分も認める自己肯定が必要。障害者と健常者は立場的に常に対等なのである。


障害者と共に生きる意味。

障害者が自分で選択出来る社会を作りたい(ウェルビーイング)


音楽療法の持つ力。

音楽の持つ懐の深さは万人に平等で、そして自由である事。

様々な感じ方が音楽では受け入れられる。

「このように感じなさい」といった決まりなど無い。感じ方は十人十色。

自分の気持ちや思いを託す事もできる。


講座の合間では、実際の音楽療法のセッション動画を視聴させて頂き、院内で音楽療法を受けていらっしゃる患者の方々の表情や感想などを知る事ができた。


「音楽療法をやる事で、その一瞬、患者さんの笑顔が出たり、心にスッと入ってくる救いというか、心が救われるという事を、一瞬にして出来るのが音楽療法です」と動画でコメントなさった音楽療法を取り入れている病院の医師の言葉が、とても印象的でした。

来年度の講座も楽しみです。


震災から今日で8年。

震災後に音楽療法を受けた被災者の方々も多くいらっしゃると聞きました。

これからも音楽によって救われる方が1人でも多くいらっしゃいますように。

東日本大地震によって失われた尊い命・被災なさった多くの方々へ心より深く哀悼の意を表します。