世界中の目撃者から、何百もの同じような報告がされている。
実際、アメリカ空軍士官学校で使われている教科書には、UFOの飛行特性の一つとして「ふらふら、ひらひらとした動き」と記載されている。
また、同じ教科書の「関連のある影響」というタイトルの下には、UFOから発せられる典型的な音の1つはシューという音であると書いてある。
母親の車から蒸気が漏れる音、とボブが子供っぽく表現したものは、この音とぴったり一致する。
ボブによるUFOの乗員の描写も、何百もの報告の典型的なものだ。
他の多くの目撃者も、異常に大きな洋ナシ型の頭、小さな鼻、突き出た耳がないこと、首がないように見えることを描写している。
先ほど引用した空軍士官学校の教科書には、そのように報告されている乗員には「特に大きな(顔の側面まで回り込むような)目と薄い唇の口」があると書いてある4。
CE-IIIの目撃者からは、テレパシーによる接触もよく報告されている。
バーニー・ヒル、1961年9月19日: ニューハンプシャー州ウッドストック:「その目が私に話しかけている・・・『怖がらなくていい』と言っている。」
空軍軍曹チャールズ・L・ムーディ、1975年8月13日、ニューメキシコ州アラモゴード:「まるで自分の頭の中で何かを考えているような感じだ。」
デビッド・スティーブンス、1975年10月27日、メイン州ポーランド:その生き物たちは『脳波』でコミュニケーションをとっていた。
ルイーズ・スミス、1976年1月6日、ケンタッキー州スタンフォード:「精神的なコミュニケーション」の感じ。
ボブに当たり、麻痺させチクチクする感覚を引き起こした明るい光線は、何度も報告されている。
その一例は、1967年12月3日、ネブラスカ州アシュランドで起きた警察官の事例である:「光線銃のようなビーム・・・頭痛がした。」
ボブがその物体の質感について述べたことでさえも、他のところで報告されている。
私が直接調査したある目撃者は、奇妙な箱型の物体が着陸してから離陸する前に、24フィート(7.3m)以内に近づいたと報告した。
「その表面はまだらに錆びた鋼鉄のような感じだった。」
1944年当時、一般の人々は空飛ぶ円盤やUFOのことをまったく知らなかったという点は興味深いことだ。
第二次世界大戦中に連合国側と枢軸国側のパイロットによる目撃例はあったが、これらは公表されなかった。
1947年、政府はすべての重要なUFO関連データを直ちに機密扱いにした。
情報公開法によって入手した、以前は機密扱いだったメモによると、陸軍航空軍のN・F・トワイニング中将は陸軍航空軍大将に宛ててこう書いている。
「この現象は本物である・・・金属製で・・・形状は円形で、底部は平らで上部はドーム状になっている。」 5
もしボブが本当に1944年に退行していて、実際の体験を思い出していたのだとすれば、彼はUFOの特徴について何も知らなかったはずである。
空飛ぶ円盤の報告が一般に知られるようになるのは1947年になってからである!
ボブは、UFOが注目されるようになる3年前に典型的なUFOを目撃した体験をどうやら思い出していたようだ!
フレッド・マックスの1980年4月1日の退行催眠セッションには、ベティ、ボブ、ラリーの妻ロイス、そしてベリルが出席した。
この奇妙なセッションに初めて出席したロイスは、ラリーが彼女に説明していた光景を自分の目で確かめようと興味津々だった。