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2026年 4月5日

2026.04.05 14:50

 引き続いて雨の多い日が続く。災害を気にするような豪雨ではないが、穏やかな雨でも連続して降り続けば、少しは沢の水量も勢いを増す。牧馬の桜もだいぶ開花した。道志川沿いのキャンプ場の桜は満開になっていた。これから山桜が咲き、枝垂桜も続いていく。

 近所の雑貨屋で清涼飲料水の自動販売機の撤去があった。話を聞くと、このような事業を行っている所は、軒並み赤字が続いているそうな。かつては100円で買えたものが、110円になり120円になり、更に値を上げて行く。そうでもしなければ利益が出なかったのかもしれないが、これがかえって客離れを加速させたと言う話もある。安い缶飲料を買おうと思えば、大型のスーパーに行って、箱で買う人も多いらしい。これならひとつ100円以下でも買えてしまう。

 しかし、町の中から缶飲料の自動販売機が無くなっていくのは寂しいし、問題もあるんじゃなかろうか。それに、こんなふうに「利益がでないから」と言う理由で、世界から様々なものが消えて行くと言うのは、寂しさを通り越して不気味でもある。人口減少社会と同様に、世の中が徐々に消えて行く有様は、遥か未来には、何もない原野しか残らないのではないかと連想させて、そこに不気味さを感じさせる。

 以下は、前回からの続き。

 次の時代の望ましい形を考えた時、それは、個々人の人格が重要になって来ると思うようになった。まあ今さら、当然と言えば当然すぎるが、人格の優れた人が集まっていれば、困難な事態からの解決も早いだろうし、互いに知恵を出し合って理想を実現化するのも早いだろう。

 それに、民主制とか産業革命とか、資本主義とか社会主義とかいろいろとやってみて、更に上を目指そうとするのなら、もう人格の向上しか私には思いつかない。

 ただ、単に人格の向上と言っても、目指す方向性によって、向上の方向性も違ってくる。弱肉強食を是とする人なら、強くなるために自己を鍛え上げる人格こそ最良とするだろうし、弱肉強食を非とする人なら、弱い立場の人を率先して助ける優しい人格こそ最良とするだろう。目指す理想の違いによって、人格の向上の目指す先も違ってくる。

 先に自分の立場を書いておく。私は弱肉強食を完全には否定できない。たとえ人間が競争を止めて、すべて平等に仲良くなったとしても、自然災害があれば弱い人から災難を受けるし、体の弱い人から病気になっていく。降りかかる困難から負けない程度の強さは身に付けなければならないと考えている。

 かといって、もちろん、弱い立場の人を助けるべきではないとは思っていない。

 山登りを複数の人間で行う場合、熟練した人を先頭と後尾に配置して、慣れていない弱い人をその間に挟むのだと言う。先頭の人間は、脚の弱い人が脱落しない速さで歩くように、速さを調節して気配りをする。これは、弱い人の立場に、強い立場の人が歩み寄り、守る仕組みだろう。

 興味深い事に、狼の群れが行進して移動する時も、これと同じ形をとると言う。自然界こそ弱肉強食そのものの世界に思われるかもしれないが、そこにも弱者を守る仕組みがある。

 もしかしたら、過去には、弱肉強食の原則にもっと忠実な狼もいたかもしれない。強いものだけが生き残ればいいし、弱いものに強いものが歩調を合わせる必要はないと考える狼たちが。

 しかし、長い時間の流れの結果、生き残ったのは弱者を守る狼だったのではないか。

 これは奇妙な皮肉であり、矛盾かもしれない。弱肉強食の原則に忠実な方が勢力を失って「肉」となり、それとは違う道を選んだ方が強者になり、「食らう」側になったという。

 これは、いろいろと考えるきっかけを与えてくれる。強さとは、単に強い人が自分の欲望のままに振舞うという事ではない。強いものが弱いものに歩み寄り、弱いものの歩調に強いものが合わせつつ、組織全体を守っていく。これが結果的に強さに結び付いていく。

 多分、ホワイトを志向してくれる人なら、この考え方に共鳴も同意もしてくれるのではないだろうか。