4/5 「隣に有るために」 三浦 遙牧師 聖句:マルコ16:1-11
イエス・キリストは神でありながら人の身となり、神から遠く離れ罪に苦しむ人々が再び神と共に歩めるようにと、十字架に架けられて死なれました。
今回の箇所では、イエスの墓を訪れる女性たちの姿が描かれています。イエスが亡くなったのは安息日の直前。一切の仕事が禁じられる安息日が明けるのをただ待ち、翌朝早く、女性たちは香料を携えて墓へと向かいます。「誰が墓石を転がしてくれるでしょう」という言葉は、彼女たちが解決策のないまま動き出したことを示しています。それは、どのような状況であってもイエスに付き従おうとする、強い愛の姿でした。
イエスの苦しみを遠くから見守り、埋葬の場所を見届け、そして安息日が明ければすぐに墓へ向かう。力や社会的な立場が弱くとも、自分にできることを貫き通そうとする女性たちの姿は、逃げ隠れていた他の弟子たちとは対照的です。そしてまさに、そのような女性たちが復活の知らせを最初に受け取り、それを告げる役割を与えられていきます。
わたし達も、先のことを考えすぎて立ち止まってしまうことがあります。しかし女性たちは、墓石が動かせると分かっていなくても、それでも行かずにはいられなかった。それほどまでに誰かを大切に思うとき、人は損得を超えて動き出すことができます。「お前なんかいない方がいい」と拒絶される人に「わたしはあなたを愛している」と声をかけられたイエスのように、無駄だと言われようとも、悲しむ人の隣に立ち、共に歩んでいく。そのように突き動かされるとき、神様がその墓石を動かし、新しい使命を与えてくださる。今回の箇所はそのことを示しています。
新しい年度とイースターを迎えた今、この女性たちのように、たとえ無理だと思えても主の御心に従い、悲しむ人々の隣に有るための一歩を踏み出していきたいと願います。イースターおめでとうございます。この喜びが、苦しみを抱えるすべての人の心に届きますように。