~イエスが会いにくる~(教会報「こんにちは、鳳教会です。」2026年イースター号掲載文)
マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。(ヨハネによる福音書 20章11-12a節)
みなさん、こんにちは、鳳教会です。イースターおめでとうございます。2025年度も主の恵みと皆さんの祈りに支えられて歩めたことを心から感謝いたします。わたしもこの4月から鳳教会での牧会も9年目を迎えました。そして、これまでの歩みに感謝しつつ、鳳教会の創立70周年に向けて話し合いの場を設けていきます。これまでの教会としての歩みを振り返るだけでなく、それらを次に活かしていくために。今年の69周年記念には音楽祭も行います。お楽しみに。
イエスの復活を描くイースターの物語で印象深いのはイエスの墓の前での出来事です。十字架に掛けられ、洞窟のような仮の墓に収められていたイエスの体が、日曜の朝には無くなっていた。その後、そこに復活したイエスが現れるという。これらの話は到底信じられない、奇跡の物語です。言い方を変えれば私たちが共感できるのは墓の外で立って泣いていたマリアの方かもしれません。愛する人を失った、そして死後もその体が盗まれてしまった。このことを嘆く痛みは、愛する人を失った私たちにも痛いほど分かるものです。愛する人を失った人に最も言ってはならない言葉は「がんばれ」や「乗り越えろ」であるとグリーフ(喪失)研究家は言います。死による別れは乗り越えられないし、頑張れるわけがないからです。愛する人を失い嘆くマリアは、今の私たちの姿でもあるのです。
しかし、その嘆くマリアの前にイエスは現れ、「なぜ泣くのか」と声をかける。私たちが直視することを恐れ、絶望する「死」を打ち倒し、マリアに会いにくるイエスの姿が描かれるのです。確かに2000年以上前の奇跡の物語を私たちはなかなか信じることが出来ないかもしれません。しかし、現実に痛みや悲しみに打ちひしがれる私たちにとって、このイースターはその痛みや悲しみを全て引き受け、尚且つそれに打ち勝って復活されたイエスが、悲しみ涙を流す私たちに会いに来てくださる日です。がんばれなくてもいい、乗り越えられなくてもいい。そんな私たちにイエスの方から会いに来て、「大丈夫だよ」と声をかけ、共にいてくださる。そんなことを思い起こすのがこのイースターなのです。どうかわたし達も、そして鳳教会もそんな風に嘆く人に会い、隣に有れるものであれますように。 (主任担任教師 三浦 遙)