生きることの傍に
子どもをお風呂に入れて寝かせると21時近くなり、
そこから本当は夜の時間を有効活用したいのですが、
体力的に疲れ果てて一日終了してしまう、というのが最近までの生活でした。
それがここ数日、少し夜の時間も使えるようになってきました。
きっかけは新しいテレビをリビングに買ったことです。
17年前くらいに買った自室用のテレビをずっと使っていたので、
大きい画面で見れるのが嬉しくて、多少疲れていてもリビングでアニメやドラマを見てから寝るようになりました。
今はNetflixで『呪術廻戦』と『アンメット』を1話だけ観てから、
いったんAudibleで心理系の本を耳から読みながら皿洗いをして、
『ライオンの隠れ家』を1話だけ観て、0時くらいに寝ています。
寝つきがよくなった気もします。子どもが寝てからの流れがナイトルーティンになってきているのが良いのかなと思います。
ルーティンがあればあれこれと悩まずに済む。あっという間に一日が終わってくれる。
春になり、そんな日が続いています。
それで、『アンメット』の第7話がとてもよかったという話をしたい。
小市慢太郎さんという俳優さんの演技(料理人が、嗅覚を失うかもしれない手術を受けるという話でした)が凄まじくリアルで、
少ないカットでここまで心的苦痛の表現が出来るのかと思いました。
手術の直前に泣いて懇願するシーンがあり、その嗅覚(それはその人にとっての人生そのものと大きく重なっていたし、シゴトを象徴していた)を失う恐怖や理不尽感の表現が素晴らしかったのは勿論の事、
そのもう少し前のシーンで、手術が必要なのだと悟った後の、“妙な達観”の演技も含めて素晴らしいと思ったのです。
たぶん葛藤を経た後の悟りではなく、自分の中の恐怖に気づいてしまう前に「これでええんや」と言い聞かせているように見えたから妙(不思議)だったのです。その違和感のある笑顔の演技が抜群だと思いました。
私は最近、「悩む」という言葉の定義について考えていて、
書店に寄った際もたまに辞書で引いたりするのですが、(多くは「心配し苦しむこと、思い煩うこと、病むこと」とある)
自分の現時点での理解では、ひとまず「悩む」とは「意識化された葛藤があり、苦しむこと」と言えるのではないかと考えています。
葛藤があることだけではなく、苦しむこともしっかり中核概念なのではないかと。というより、苦しくないのであればそう大した葛藤ではないのかもしれない。
それでいくと、「悩めない」ことは「悩みがない」と捉えるならば葛藤がない・苦しまないということになりそうなのですが、臨床で取り上げられる「悩めない」というのは「苦しまない」こととは少し異なっているように思われるのです。
そこに私の関心があるようです。「悩めない」ことはちゃんと苦しいことであると。
そこには強い不安に気づいてしまう前の、いわば“葛藤以前の苦しみ”があるのではないか。
それが妙な作り笑顔になったり、激しい行動化になったり、無気力反応となったりするのでしょう。
そういった「悩めなさ」は「悩む(=意識化された葛藤があり、苦しむ)」こととはっきりと分かれるものではなく、実は地続きであり、スペクトラム的なものかもしれません。
人間には「悩む人」と「悩めない人」がいるという単純な話ではなく、
私たちそれぞれの中には「悩む苦しみ」と「悩めない苦しみ」が共存しているのかもしれない。だとすれば、それらとどのように付き合っていくこと、あるいは対峙することが人生にとって良い意味をもつのか。あるいは悪い意味を持つのか?
自分の研究したいテーマが少しずつ明確になってきたと言えるのかもしれません。
さて、新年度も頑張ってまいります。