「非二元」を背景に日常を生きるとは
非二元(Non-Duality(ノンデュアリティ))という言葉は、どこか特別な響きを持っています。
私とあなた、善と悪、内と外のように、世界を2つに分けて認識する”二元性”を超える。
万物は根本的に”一つ”(分かれていない)である。
このように哲学的であったり、スピリチュアルな考え方だとして、日常を離れた静けさや、
到達すべき境地のように語られることも少なくありません。
しかし実際には、非二元はどこか別の場所にあるものでは、ありません。
日常と切り離された世界でも、特別な体験を維持することでも、ありません。
むしろそれは、私たちが日常を生きるその“前提”に関わっているもの。
本記事では、スピリチュアルや宗教的な文脈に回収されがちな「非二元」の在り方を、統合理論、発達心理学に基づく知見から紐解いてみます。
非二元とは何か
非二元(Non-Duality(ノンデュアリティ))とは、Non(~ではない)+Duality(二元性・対立)の言葉どおり、主体と客体が分かれていない在り方を指します。
主体とは、認識や行為を行う「側」の存在で、
客体はその認識・行為の対象となる「物」や「対象」。
こうした、対立するふたつの原理や側面で世界をとらえる、二元的な枠組みが社会においては一般的であるのに対し、
非二元では「私」と「世界」が分かれているという前提ではなく、
起きているすべてが一つの連続した現れである、という見方に変わり、自分と世界を同時に信頼する、という在り方に変わります。
ただ、ここで重要なのは、それを概念として理解することではありません。
非二元は、何か特定の状態をつくることでも、そこに留まり続けることでもなく、「もともとある前提に気づくこと」に近いものです。
私たちが通常立っている前提
私たちは普段、自分と世界は分かれている、という前提、それゆえ、「”自分が”世界に働きかけている」という前提で生きています。
この前提の中では、
・評価や比較
・正しさの基準
・不安やコントロール
といったものが自然に立ち上がります。
これは間違いではなく、現実を生きるうえでの重要な機能です。
ただ、この前提だけで世界を捉えていると、私たちは無意識のうちに、
「(その世界に対し)自分がどうあるべきか」
「(その世界に対し)どうすればうまくいくか」
という枠の中で、
選択を繰り返すことになります。
非二元が背景にあるとはどういうことか
非二元は、どこかに到達して得られるものではなく、常に背景として在るものです。
ただ通常は、思考や感情、反応が前景にあり、その背景にある前提には気づかれません。
「非二元を背景に生きる」とは、何かを新しく加えることではなく、この前提に気づき、そこから日常が展開していくことを指します。
それは、非二元状態を保つのが目的なのではなく、分かれている前提に過剰に固定されない、という
柔らかな姿勢そのものでもあります。
背景が変わると何が変わるのか
世界は大きくは変わりません。
人と関わり、仕事をし、判断をしながら生きていく。
その日常はこれまでと同じです。
しかし、内側で起きている構造が変わります。
どこかに向かわなければならない焦燥感や、コントロールしようとする力がゆるみ、今ここに、穏やかに安心していることができます。
何か特別なことが起きるわけではないまま、起きていることの“質”が変わっていきます。
日常の中で起きる変化
非二元が背景にあるとき、判断は行われますが、そこに重さがなくなります。
行動は起きますが、それが自己証明にはなりません。
感情はそのまま起きますが、滞り続けず通っていきます。
世界と自分を切り分けて操作する感覚から、起きていることがただ起きている、それをただ通す身体感覚へと、自然に移行していきます。
ここで非二元についてよくある、いくつかの誤解についても触れてみます。
目覚めや覚醒を、どこか恍惚とした至福な体験だと感じている人があるかもしれません。
しかしそれは「一瞥体験」(States)にとどまることが多く、それが日常に根付く(Stages)には、神経系を含めた身体の統合が欠かせません。
また、非二元的な感覚から、隔世的なイメージを持つ場合もあります。
しかし、日常との接続がうまくいけばむしろ、行動はより自然に起きるようになります。
(Beからの自然なDoの発露)
常に静かでいなければならない、というものでもありません。
状態を維持することが目的ではないからです。
非二元と日常が分離しなくなるとき
非二元を理解し、そこから日常に戻るのではなく、日常そのものが、その前提の上で展開していくようになります。
特別な場面だけでなく、
話すこと
働くこと
選択すること
そのすべてが、同じ一つの流れの中で起きているものとして、感じられていきます。
非二元は、何かを変えた先に現れるものでもなく、すでに背景として在るもの。
それに気づいたとき、日常そのものは変わらないまま、その質だけが、静かに変わり始めます。