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Core Field Coaching

観察と「観察しようとする思考」の微細な質の違い

2026.04.26 09:00

自己理解が進み、内省が自然に行われるようになると、やがて自分の内側を「観察する」感覚が育ってきます。


「観察することが大切」 

そう聞いて、自分の内側を丁寧に紐解いてきた方も多いかもしれません。


たとえば、 

「今、不安があるな」

「これは過去の体験からくる反応だな」 

「今ちょっと感情に飲み込まれているな」 

 そうやって、落ち着いて自分を見ている感覚。 

一見すると、とても静かで、 整った状態のように感じられます。


でもそこに、実はとても繊細な「質」の違いがあります。 


それは、 「観察している」のか、 

それとも 「観察しようとしている思考」の中にいるのか、 

という違いです。 


私たちは、「観察しよう」とするとき、そこにはわずかな方向が生まれます。

・正しく捉えたい 

・できれば落ち着きたい 

・できれば変わりたい 

といった正しさに向かう方向です。


これはコーチングや自己啓発を学び、実践している人ほど起こりやすい状態かもしれません。


本来の観察は、そことの距離を保ち、「起きていることを起きているままにしておく」ことをいいます。


けれど「観察しよう」とする動きは、距離を保っているようで、どこかで触れ続けています。


 自分を俯瞰している。 

冷静に見ている。 

巻き込まれていない。 


そのように感じられても、高度に発達してきた自我パーツが、まるでセルフのように振る舞いながら「観察」をしている場合があるのです。


これは、私たちの自我による、コントロールの延長にある働き、

「セルフのふりをした自我(観察自己)」の働きによるものです。 


このとき、内側では まだどこかで「どうにかしよう」とする動きが残っています。

そう、「正しさ」に向かって。


この状態は、とても自然に起こります。 

むしろ、これまで自分を守ってきた働きが、より繊細な形で現れているとも言えます。


・不安に飲み込まれないよう、距離を取ろうとする。 

・反応に巻き込まれるのではなく、 それを扱おうとする。 

それ自体は、間違いではありません。 


ただ、 この位置にいる限り、 自我パーツが主体の観察となり、そこに緊張が伴うことが避けられず、

完全にそのままにしておくことが難しくなります。


どこかで整えようとしたり、 意味づけしようとしたりする動きが、止むことがありません。 

そうして、落ち着いているようでいて、どこか緊張が抜けきらない状態が続きます。


一方で「観察」は、何かをしようとする前に、すでに起きているものです。 

そこには、良い/悪いの判断も、変えようとする意図もありません。 


 ただ、今ここに起きていることが、そのまま現れている状態です。


これまで私たちは、自分を乱す感情や思考を、”そこにあってはいけないもの”として扱うことに慣れてきました。


しかし、どんな思考も感情も、本来のあなたを形作る大切な一部です。

その感覚で自分の内側に触れられたとき、自然な「観察」を許容できる意識が芽生え始めます。


そして重要なのは、観察は「やるものではない」ということ。

観察しようとした瞬間、そこにはすでに思考の介入が始まっています。 


だから、 観察をうまくやろうとしなくていい。


もし今、「ちゃんと観察しよう」としている自分がいるなら、その自分も含めて、そのままにしておくことができます。


「観察しようとしているな」 

「整えようとしているな」 


その働きそのものが、対象として現れてくるとき、少しだけ位置が変わります。


セルフは、 何かをしようとする場所ではありません。 


観察しようとすることも、整えようとすることも、すべてがそのまま現れている場所です。 


「セルフのふりをした観察自己」も、高度に発達しながら、あなたを守ってきてくれた大切な一部。


それを排除しようとしなくなったとき、観察は “しようとするもの”ではなく、自然に起きているものとして現れてきます。