安全は、どこで感じているのか
「安全が大切」
そう言われると、 多くの場合、私たちは環境を思い浮かべます。
静かな場所。
安心できる人。
危険のない状況。
たしかにこれらは、とても重要です。
けれど実際には、静かな場所にいて、安心できるはずの人たちといても、なぜかゆるめないことがあります。
何も起きていないのに、落ち着かない。
ここで起きているのは、外側の条件とは別のところで感じている「安全」。
私たちが感じている安全は、外側の条件だけで決まるものではなく、内側の状態と深く結びついているということです。
「安全が大切」と聞くと、私たちは安全を作ろうとしますが、実は作ろうとして作れるものではありません。
すごく不思議な話なのですが、安心しようとする、落ち着こうとする、その動き自体に、まだ安全ではないという前提が含まれてしまうから。
頭では「大丈夫」とわかっていても、体は緊張していることがある。
はっきりした理由もないのに、不安やざわつきが消えないこともある。
このとき、思考と身体は、少し離れた場所にいます。
外側に危険がなくても、内側で安全が感じられていなければ、体は反応をやめません。
なにかに備えようとする感覚や、気を緩めてはいけないという緊張が、静かに続いている状態です。
逆に、「ここにいていい」という感覚が内側にあるとき、環境が完全に整っていなくても、体は少しずつゆるみ始めます。
だから、大切なのは、何かを変えようとする前に、今ここで起きている心と体の状態に、そのまま触れてみること。
不安がある。
緊張がある。
ざわつきがある。
それをなくそうとせず、そのままここに置いておく。
変えようとしたり、意味づけをしようとしたり、排除しようとする必要もありません。
そんなゆるしを身体に与えてあげたとき、ほんのわずかな間に、
「これがあってもいいかもしれない」
そんな感覚が生まれることがあります。
安全とは、すべてが整った状態ではなく、心と体が分かれずに、同じ場所にいられている状態です。
それは新しく手に入れるものというより、すでにあるものに触れていく感覚に近い。
呼吸が続いていること。
身体がここにあること。
今この瞬間が、ただ過ぎていくこと。
その感覚に触れているとき、私たちは、何かをどうにかしようとしなくなります。
不安も、思考も、そのまま通っていく。
もし今、 何かを変えようとしているなら。
その動きもまた、ここに置いておく。
そこから、 静かに変化が始まります。