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Bellydance Najm Fukuoka

踊れるということ

2026.04.10 23:48

本気で何かに挑戦すると、自分の未熟さや基礎の脆さ、踊りの拙さ、

もともとのポテンシャルの低さまで、

いろいろな欠点がいっぺんに見えてくる。

すると、つい何もかも嫌になったり、

できない自分を責めたりしてしまうことがある。


実際、私はついさっきまでそうだった。


エストニアでのチャレンジ。

才能豊かな若いダンサーたちと同じステージに立つことの無謀さ。

そもそも競う段階ですらない自分が、

ここで踊らなければならないことの苦しさ。

場違いなのではないかという、少し申し訳ないような気持ち。


練習を重ねても、

自分の思い描く姿とは大きくかけ離れた、無様な自分。

そんなものと、この半年余り、ずっと向き合ってきた。


だけど今朝、朝練に向かう車の中で、

ほんの一瞬、光が差すように、

ふんわりと感謝の気持ちが湧き上がってきた。


今こうして朝練に向かおうとしていること。


何の不自由もなく、

自分のやりたいことができて、

動きたい時に動けて、練習ができる。


そのこと自体への、身体への感謝だった。


つい忘れてしまう。

こうして身体が自由に動くこと、

やりたいことがやれることは、決して当たり前ではないのだと。


怪我をすることもある。

病気になることもある。

あるいは年齢を重ねて、

思うように身体が動かなくなる日もくる。


そういうことは常に起こりうるし、

いつか必ず自分の身にも降りかかる。


それなのに今、私はこうして朝練に向かう車の中で、

今日の練習のことを考えている。


たとえ思うように上達できなくても、

たとえ不甲斐ない自分がいても、

練習ができること自体が、もう幸せなのかもしれない。


踊りの場へ戻れること。

練習する場所へ向かえること。


それだけで、

私にとっては大きな喜びなのかもしれない。


身体が自由に動くこと。

それは、私が私でいられるための、

かけがえのない土台なのだ。


私はもう、決して若いとは言えない。

一生のうちで踊ることができる時間には、

思っている以上に限りがあるのだと思う。


そんな中で、怪我も病気もなく、

こうして毎日朝練に向かい、大好きな先生から踊りを学べている。

その先生は、世界でもトップクラスのスターダンサーだ。


定期的に出演できる舞台があり、

期限の中で課題に向き合い、

その成果をステージで確かめることができる。


そして、私の踊りを好きだと言ってくださる生徒さんやお客様がいて、

いつも見守り、応援してくださる方々がいる。


こんなにも恵まれた環境にいながら、

できないことばかりに目を向けて、落ち込んでばかりいるわけにはいかない。


私は、もう十分に幸せなのだ。


こうして練習ができる健康な身体があること。

踊れる場所があること。

支えてくださる大切な人たちがいること。

これ以上ないほどに、満たされているのだと、

今しみじみ思う。


さあ、今日も朝練からスタート。

幸せすぎる一日の始まりだ。


※2026年3月18日note記事より