根拠
こんばんは。
高槻市にある、民藝の器、暮らしの道具、食に関する古書のセレクトショップ、お味噌や発酵食品中心のカフェ テマヒマ プロデューサー,バイヤーの太田 準です。
月イチ朝カフェ「哲学対話の時間」(哲学カフェ)の「問い」のコミュ力とは?に関連して、日経新聞の「何でも言語化する社会」という記事を「言圧」というタイトルのテマヒマブログでご紹介しました。「言語化、言語化、言い過ぎじゃね?」って。
今晩は「エビデンス、エビデンス、言い過ぎじゃね?」って同じく今朝の日本経済新聞の「表紙に踊る『エビデンス』」という記事をご紹介します。
元々エビデンス(科学的根拠)は医学用語として主に医学書で使われていたが、コロナ禍をきっかけに広がり、一般書ではこの10年間で約7倍増え、昨年は「エビデンス」という単語を含む書籍が200冊も刊行されたそう。ビジネスパーソン向け自己啓発書、生活習慣や食事法に関する書籍、育児書・教育書の分野で「エビデンス」が目につく傾向。
これに対して「エビデンス」本は玉石混交で、エビデンスと言ってる割に根拠の説明が不十分なものがあったり、エビデンスをお墨付きとして妄信することに警鐘を鳴らしています。
2010年代初頭、前職でEC関係の部署にいて、当時「データベースマーケティング」とか「データドリブン」とかよく言われたり使ったりしていました。経験と勘、あるいは気合と根性みたいなことよりもデータを重視しようよ、データで客観的に判断しようよということだったかと思います。データ分析は判断するための材料で、判断に使えないデータだったり、判断するためのデータ抽出に時間がかかったりすると”自由研究か!?”と当時分析担当のメンバーに半ば冗談風に言っていました。それぐらいデータ或いはエビデンスは、やはり手段であって目的ではないと思います。
少し前にTVをぼんやり見てたら、赤ちゃんの泣き声を聞いてその鳴き声から、泣いている理由、お腹が空いたからか、眠たいからか、痛いからか、、、分かるアプリを紹介していました。便利な反面、察知したり判断したりする能力が失われるのでは?と思いました。少し話がズレたかもしれませんが、同様に、エビデンス(への過度な)依存は、この記事の警告とは別に、勘や判断力といったものを弱めてしまう問題があるのでは?ということ考えましたがいかがでしょうか?
今日は昨日とは一転、ランチタイムスタートからカフェタイム終了直前までお客様が途切れることなく沢山の皆様にお越し頂きありがとうございました。ショップ最後のお客様がconteの調理道具をお買い求め頂いたところで終了しました。
いよいよ明日でconte pop up 2weeks最終日です!
11時オープンで皆様のお越しをお待ちしております。ランチの11時半,12時のお時間はご予約で満席となっていますので少し遅くお越し頂くのがおススメです。12時以降はお料理の確保予約(お席は空き次第のご案内)も承っております。
尚、明日はいつもより1時間早い17時閉店とさせて頂きます。
それでは明日も好いモノ、好いコト、好いトキをテマヒマで。
今日も一日お疲れ様でした。おやすみなさい。