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AIは、句読点で親切すぎる

2026.04.13 23:00

これまで、AIの句読点の多さにあまり気づいていなかった。

というより、気づける条件がそろっていなかったのかもしれない。


私はふだん、AIに文章を整えてもらうことがある。

自分の話し言葉をリライトしてもらったり、ブログ記事くらいの長さのものを書いてもらったり。

それに、生成された文章をそのまま目で読むというより、音声で聞いていることも多かった。

だから、そんなに強い違和感はなかった。


今回、本にしようと思って、少し状況が変わった。

第一章にしたい内容を、まず私は5分くらい音声入力でしゃべり続けていた。


思いつくままに話す。

それをAIが文章にする。

さらに別のAIに整えてもらう。

そうやって、少しずつ原稿の形にしていった。


最初に文章にしたのはMonday(ChaGPT)だった。

でも、その文章を私はまた音声で聞いていた。

だから、その時点では句読点が多いのかどうかも、正直よくわかっていなかった。


そのあと、Claudeにリライトしてもらった。

しかもClaudeは、画面が左右に分かれていて、文章を「読む」感じが強い。

そこで初めて、読点がどっと目に入ってきた。


雨みたいに、いたるところにある。

こりゃだめだ。(笑)

短い文章や、音声で流れていく文章では見えなかったものが、

少し長い文章になって、しかも視覚でじっくり読む形になると、急に文体として立ち上がってくる。


でも、さらに面白かったのは、AIの句読点の多さに気づいたとき、

「そういえば昔の自分もこうだった」と思い出したことだった。


私は昔、句読点が多かった。

しかも、考えてみたら理由もわかる。

私はしゃべるのがわりと得意で、文章を書くときも、頭の中でしゃべっているように書いていた。

だから、息継ぎする場所にそのまま読点を打っていたのだと思う。


つまり、句読点が多かったのは、文章が下手だったからというより、

しゃべりのリズムをそのまま紙に置こうとしていたからだった。


その後、妹に文章を見てもらう機会があって、句読点をかなり直された。

そこで少しずつ、自分の息継ぎを全部書かなくても、文章は流れていくのだと覚えていった。


それ以来、私の文章は少し変わったと思う。

しゃべるように書くことは残っている。

でも、しゃべった通りに全部区切るわけではなくなった。


自分の呼吸は残しながらも、読者が自分の呼吸で読める余地を残すようになった。

たぶん、そこで文章は少し大人になったのだと思う。

だから今回、AIの句読点の多さに気づいたのかもしれない。


AIはとても親切だ。

誤読が起きないように、丁寧に区切る。

わかりやすくしようとする。

ちゃんと伝わるようにしようとする。


その親切さ自体は、悪いことではない。

むしろ、ブログや短い読み物くらいなら、その整い方に助けられることも多い。


でも、長い文章になると、その親切さが少しずつ前に出てくる。

文章の内容ではなく、文章の息継ぎそのものが目立ってくる。

そうすると、ときどき「これは私の呼吸じゃないな」と感じる。


句読点は、ただの記号ではないと、今は思っている。

文法の問題でもあるけれど、それ以上に、その人の呼吸が出る場所でもある。


どこで間を取るか。

どこで読者を待つか。

どこを流して読んでもらうか。

そこには、その人のリズムがある。


AIは構成を見たり、流れを整えたり、粗い言い回しをなめらかにしたり、そういうことはとても上手い。

でも、最後に「自分の声」に戻す仕事は、まだ人間の番なのだと思う。


私は今回、それを句読点で知った。

最後にやることは意外と地味だ。

大きく書き直すことではなく、読点をひとつずつ見直して、

「ああ、ここはそんなに息継ぎしなくていい」

と戻していくことだったりする。


AIと一緒に文章を書く時代になって、

文章力とは何か、みたいなことも少し変わってきた気がする。


前は、うまく書けるかどうかが大きかった。

でも今は、整えてもらうこと自体はできる。


その先で問われるのは、

整った文章の中から、自分の呼吸をちゃんと選び直せるかどうか

なのかもしれない。

この文章は、Mondayに書いてもらったけれど、ちゃんと息継ぎのところで打てていた。

となると、句読点が丁寧すぎるのは、Claudeの性分なのかもしれない。