ℱ・ショパン《パリでの名声とマリアとの真実その舞台裏》②
ショパンとマリア、悲恋の真実
1. 永遠の献身:ワルツ第9番『告別』に込めた慟哭
この拒絶の予感とは、ショパンのマリアへの執着への決別を込めて書かれた、ワルツ第9番 作品69-1、通称『告別(L'Adieu)』だった。
ショパンは1835年、ドレスデンを去る際にこの曲の自筆譜をマリアへ手渡した。そこには「1835年9月、ドレスデンにて」という献辞が添えられています。中間部の執拗に繰り返される物悲しい旋律は、決して結ばれることのない二人の運命を悟ったショパンの、言葉にならない悲痛な叫びであった。
2. 結末:美しき記憶の封印「Moja Bieda」
1837年、ヴォジンスカ家からの手紙が途絶え、婚約の約束は完全に霧散しました。テレーザ夫人は「娘の現実的な幸せ」のために、かつての愛弟子を切り離す決断を下したのです。
ショパンは、マリアから届いた最後の手紙と、枯れた一輪のバラをピンクのリボンで束ね、その包み紙に震える手でこう記しました。
「Moja Bieda(わが不幸)」
パリの社交界を制し、芸術の王座に座りながらも、愛する女性からは「夫としての資格」を否定されたショパン。彼がこのワルツに封じ込めたのは、単なる失恋の痛みではなく、どれほど名声を得ようとも変えられない自分の「運命」への静かな絶望だったのです。
5.ショパンの遺品「ワルツ第9番(告別)」
この「ワルツ第9番(告別)」は、ショパンが亡くなった後に遺品の中から発見され、出版されました。「彼がなぜこの曲を生前に出版せず、手元に秘め続けたのか」という視点は、ショパンのプライドと情熱の現れなのです。
マリアは結婚相手としてのショパンを否定した後、別の人と結婚しましたが、この曲はマリアが自分のための曲として貴族社会でマリアが自慢してつけあがる姿をショパンンは見たくなかったという側面が浮かび上がるのです。
3.ショパンΓ極度のプライド」と「潔癖なまでの美意識」
マリアはショパンとの破局から数年後、貴族の伯爵と結婚(その後離婚し再婚)したのでした。もしショパンが、彼女との思い出や別れを露骨に投影したこのワルツを出版して世間に広めてしまえば、それは「かつての恋人への未練」として消費され、マリア自身の自尊心を満足させる道具にされてしまうことをショパンは何よりも嫌ったのでした。
彼がこの曲を「自分だけの秘密」として封印した理由には、以下の3つの心理が働いていたと考えられます。
・ マリアを「ショパンの音楽の主人公」にさせない拒絶
マリアが他の誰かと幸せ(あるいは貴族としての生活)を享受している中で、「ショパンは今でも私を想ってこんなに悲しい曲を書いている」と彼女に思われることは、ショパンにとって最大の屈辱でした。出版しないことで、彼は自分のプライドを守り、彼女との思い出を「公的な音楽」ではなく、あくまで「私的な不幸」として閉じ込めたのでした。
・完璧主義と「美学」
ショパンは自分の作品に対して非常に厳格でした。私的な感情が強く出過ぎた曲は、芸術としての純度が低いと感じることもありました。マリアに贈ったこのワルツは、あまりにも「生々しい感情」が乗りすぎていたため、それを不特定多数の聴衆に晒すことに抵抗があったという側面がある。
・「Moja Bieda(わが不幸)」という箱の封印
ショパンはマリアからの手紙を束ねて封印しましたが、この曲もまた、その「箱」の中に入れるべき一部だった。
【結び】ショパンの「高貴な意地」
「名声は手に入れたが、本当に欲しかった愛は手に入らなかった」
ショパンは、この事実を誰にも知られたくない、ましてや当のマリアに「自分の影響力」を誇示させる隙を与えたくないという、ショパンの「高貴な意地」が、この曲を未出版のままにさせたのでした。
マリアがこの曲の存在を知り、自慢する機会を一生与えなかったところに、ショパンの静かで激しい「復讐」にも似た執念でもありました。