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Bellydance Najm Fukuoka

内に芽吹き、外に咲く

2026.04.16 02:17

春、この時期になると、無性に聴きたくなる音楽がある。

雅楽の「春庭花」だ。


けれど私がこの音楽に感じているものは、

実は「春庭花」そのものだけではない。

その前に奏される、双調の音取。


あの響きこそが、

私の中にある“春のはじまり”と深く結びついている。


初めてこの曲を聴いたとき、

私の中に浮かんだのは、土の中の世界だった。


真っ暗な土の中。

まだ何も見えないその場所で、

無数の命が、静かに、しかし確かに動き始めている。

螺旋を描くように、内側からほどけていく力。

上へ、上へと押し上がろうとする気配。


それはまだ、形を持たない。

けれど、確かに存在している。


この感覚は、「春庭花」ではなく、

その前に奏される双調の音取の響きそのものだったのだと思う。


音取―調子を整えるための音。

けれどそこには、すでに生命の気配が満ちている。


まだ見えない春。

けれど確実に始まっている春。

やがてその内側の生命は、地上へと現れる。


私の中に浮かんだのは、

満開の花をたたえた、大きな桜の木だった。

年輪を重ねた一本の桜が、静かにそこに佇んでいる。

枝は大きく横へ広がり、

その先には、無数の花が咲き誇っている。


音が鳴るたびに、

花が、ポン、と弾けるように開く。

ポン、ポン、とやわらかな響きとともに、

花々はまるで歌うように、空へと向かって咲いていく。

そして、ひとしきり咲き誇ったあと、

はらはらと、静かに散っていく。


それは、内にあった命が、

ついに外へと現れた姿。


「春庭花」という楽曲は、

その完成された春のかたちを描いているのだと感じる。


ーこの「春庭花」は、早朝の音だ。

雅楽において「春」は東を示す。

東――光が生まれる方角。

そのはじまりの気配を、この音楽は静かに湛えている。


千年の時を越えて。

はるか千年以上の時を越えて。

現代に生きる私たちへ、春の息吹を伝えてくれる音がある。


雅楽という音楽には、

ただの響きではない、

もっと深い記憶のようなものが宿っている気がする。


桜の花が咲くさま。

そして、散りゆくさま。

満ちて、ほどけて、消えていく――


その一連の流れに美を見出す感覚。

それは今もなお、人々の心の奥で静かに息づいている。


ふと、以前雅楽を習っていたときの先生の言葉を思い出す。


雅楽はもともと、唐楽や高麗楽――

つまり、中国や朝鮮半島で磨かれてきた音楽なのだと。

遠い異国の地で生まれた音が、

長い時をかけて海を渡り、この国へと伝わってきた。

そしてその音は、日本の風土や感性の中で育まれ、

やがて今私たちが耳にする「雅楽」となった。


世界の多くの文明は、

時代の変化とともに文化を更新し続けてきた。

その中で日本は、

外からもたらされたものを受け入れながらも、

それを自国の感性の中で育み、

長い時間をかけて守り、受け継いできた。


雅楽もまた、そのひとつである。

現代では、雅楽を耳にする機会は多くはない。

それでも、この音楽は確かに生き続けている。

私は、この雅楽という音楽が大好きだ。


だいぶ前、

私がバレエを教えている子どもたちとともに、

「越天楽」に合わせて踊る機会をつくったことがある。

そのとき私は、自ら龍笛を手にし、

烏帽子を被り、装束を纏い、演奏した。


雅楽の音に合わせて踊るという体験は、

子どもたちにとっても、観ている人にとっても、

きっと初めてのものだったと思う。


けれどその時間は、不思議と自然で、

どこか懐かしさすら感じられるものだった。


今は、練習場所や仕事の都合で、

雅楽のお稽古に通うことはできていない。

それでもまた、折があれば龍笛を吹きたいと思っている。


この時期になると、なぜか無性に、

双調の音取を吹きたくなる。


土の中で、まだ見えない命が動き出す、あの感覚。

そして「春庭花」を聴くと、

ああ、今年もまた春が来たのだなと、しみじみと感じる。


満開の桜の下で、この音楽を聴くことができたなら――

それはきっと、何ものにも代えがたい時間になるだろう。


内に芽吹くものと、

外に現れるもの。

その両方をあわせて、春なのだと思う。


「春庭花」。

私の、大好きな曲のひとつだ。


あと幾度、私は残りの人生で

春のこの季節を味わうことができるのだろうか。

ふと、想う。


※2026年3月25日 note記事より