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Art of Being|言葉と意識が生まれる場所

現実の声を聴く

2026.04.19 16:38

今、本を書いている。

傾聴、質問、フィードバック、構造。

そんなことを書き続けていると、日常の中でも、同じことが何度も見えてくる。


最近あらためて思ったのは、

人は現実を見ているつもりで、実は現実を見ていないことがある、ということだった。

先月、母や姪たちと家族旅行に行った。

母はいつものように、電車の時間、バスの時間、レストラン、電話番号、タクシー会社まで、ぎっしりと調べていた。

旅行のしおりのようなメモ帳ができていて、準備は万端だった。


実際、旅はかなりスムーズに進んだ。

私も全体の流れは把握しつつ、途中で何か変わったら、その場でChatGPTに相談して決めればいい、くらいの感覚でいた。


二日目、帰りの特急の時間は決まっていたので、それまでに最寄り駅へ戻る必要があった。

母の計画では、帰りはタクシー一択だった。


ところが、現地でタクシー会社に電話すると、「もっとわかりやすい場所にいてほしい」と言われた。

そこで私たちは、近くのミュージアムまで歩いて移動し、そこへ来てもらうことにした。


歩きながら別のタクシー会社にも電話したが、日曜で混んでいて、なかなかつかまらない。

ようやく一台確保できて、七人いるから、最悪一度往復してもらえばいいか、という話になったそのとき、姪がバス停を見つけた。


「バス、来るみたいだよ」

時刻表を見ると、十五分後にバスが来る。

それで、タクシー組とバス組に分かれればいいね、ということになった。


ところがそのとき、母が「いや、それはありえない」と言い出した。

自分が調べた中には、そこにバスはない。

だから、この張り紙のほうが間違っているように感じたのだと思う。


でも、現実には、目の前に時刻表があり、バスは実際に来た。

この出来事をあとでChatGPTに話したら、こんなふうに整理してくれた。


計画を立てる人にとっては、自分が調べた通りに進むことが「正しい」。

一方で私は、計画も把握しているけれど、その場で起きたことが正しいこともある、という前提で動いている。


言われてみて、たしかにそうだと思った。

調べること自体は悪くない。

準備することも大切だ。


でも、調べすぎると、過去に集めた情報のほうが「正しい現実」になってしまうことがある。

そうなると、目の前に新しい現実が現れても、受け入れられなくなる。


この話をALL EARSのコミュニティでシェアしたら、

「私もお母さんタイプかもしれません」

「調べすぎると、現実が見えなくなることがあります」

と言う人がいた。


よくわかる。

昔の私もそうだった。

計画通りにいかないとイライラして、目の前で実際に起きていた楽しさよりも、

「予定通りに回れなかったこと」のほうに意識が向いていた。


でも、妹に

「なんでそんなにイライラしてるの」

と言われて、はっとしたことがある。

それ以来、私はあえて、計画を立てすぎない旅もしてきた。


ヨーロッパの一人旅でも、

「ここだけは行く」と決めて、あとはその場で考える。

そんな旅を、何度もしてきた。


すると、不思議と、その場その場で次の行動が決まっていく。

ハプニングが起きても、現実を見て選ぶことに慣れていく。


そしてたぶん、面白いのはその先だ。

現実のほうを見て動いていると、思いがけない発見や出会いが入ってくる。

計画通りではないのに、かえってそっちのほうが楽しかった、ということが起きる。


大阪のクライアントさんにも、こんなふうに言われたことがある。

「ひとみさんと一緒にいると、流れに身を任せても全然心配なくて、いつもハプニングとミラクルが起きますよね」と。


たぶんそれは、ただ運がいいということではなく、現実に対して余白があるということなのだと思う。


計画しか見ていないと、新しく起きていることが入ってこない。

でも、現実の声を聴いていると、そこに別の流れが現れる。

たぶん、構造は変えられる。


調べすぎて現実が見えなくなる人も、少しずつ、現実の声を聴くほうへ変わっていける。


事件は会議室で起きているんじゃない。
現場で起きている。


あの台詞の通りだ。


人生も同じなのだと思う。

頭の中で起きているのではなく、現実はいつも目の前で起きている。

だからこそ、必要なのは、正しいやり方を全部知ることよりも、いま何が起きているかを受け取れることなのかもしれない。


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