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Bellydance Najm Fukuoka

3月回顧(марта 2026)

2026.04.23 02:30

3月。

この1ヶ月を思い返すと、

どこかぼんやりと霞がかかったような、はっきりしない時間だった。


色で例えるなら、光の当たらないグレー。

冷たくもなく、暗すぎるわけでもないけれど、

どこか鈍く沈んだ陰鬱な色。


何か大きな不幸があったわけではない。

我慢ができない程特別に嫌な出来事が起きたわけでもない。

それなのに、

人間関係や、自分の周りの細々とした出来事、

体調、気分―

そういったものが少しずつ絡まり合って、静かに混沌としていた。


そして何より、

光が差し込む瞬間を、あまり感じることができなかった。

天気も安定せず、寒かったり暑かったり、寒暖差の激しい日が続いた。

春先のあの肌寒さが苦手な私にとっては、

身体的にもかなり堪える季節だ。

気温や気圧の変化は、頭痛を引き起こし、

身体の芯を冷やし、メンタルにも影響してくる。


そういう状態だからこそ、

本来なら気にも留めないような些細なことが、

やけに重たく感じたり、不快に思えたりする。

まるで、肌の感覚だけが嫌な方向に研ぎ澄まされてしまったような―

そんな日々だった。


また、春は別れの季節でもある。

それ自体は自然なことで、避けられないものだと分かっていても、

やはり寂しさや喪失感を覚える瞬間は多かった。

体力的にも削られ、精神的にも消耗していく中で、

それでもなんとか上に向かおうと、もがいている自分がいたように思う。


去年の3月に比べて、今年は桜の開花も遅く、

寒暖差も激しく、天気の悪い日も多かったように思う。

殆ど毎日、気圧による頭痛に悩まされ、薬が手放せなかった。


去年の3月の終わり頃は、天気も良く、あちこちに桜を見に出かけていた。

桜やミモザ、春の花々に触れることで心が癒され、

訪れた春に、心の奥底からふんわりとほどけていくような、

柔らかい喜びを感じていた。


けれど今年は、

エストニアから帰国してからというもの、

どこかこの日本の春の肌寒さに、

じわじわと蝕まれているような感覚があった。


自分の仕事や、踊りの方向性を見直す時期でもあった。

仕事の仕方や考え方、人との接し方―。

さまざまなことについて考え込み、立ち止まる時間が多かった。


本来であれば、それは必要なアップデートの時間でもある。

けれど、身体やメンタルが弱っているときにそれを行うのは、

思っている以上に負担が大きい。


だからだろうか。


3月は、私にとってとてもしんどい1ヶ月だった。

4月に入れば、少しは流れが変わるかもしれない。

そう思っていたけれど、

雨、肌寒さ、気圧、頭痛。

そして細々とした面倒な出来事が重なり、

気持ちはまだ、上向きになりきれずにいる。


今朝も、雨だった。

霧のように細かい雨が道路を濡らし、

朝練に向かう道は、どこか憂鬱な色をしていた。


気がつけば、桜は八分咲きから満開へと移り変わっていた。

それでも私は、まだそれを見に行けていない。


すっきりとしない天気と、

どこか晴れきらない自分の気持ち。寝起きからの頭痛。

そして、どうしても浮かんでしまう、去年との違い。


今年は、どうしてこんなにも違うのだろう。

そんな思いが重なって、

私はまだ、春の訪れを心から喜ぶことができずにいる。


だけど、いつまでもこんな鬱々とした気持ちでいるわけにはいかない。

このあたりで、なんとか停滞から抜け出して、

心から春の訪れや、花々の共演を、素直に嬉しいと思えるような、

そんな感覚を取り戻したい。


4月29日には、毎年恒例のイベントステージへの出演も控えている。

そこに照準を合わせて、踊りの面でも、

土台の組み換えを進めていかなければならない。


思えば、3月は、

落ちるところまで落ちた1ヶ月だったのかもしれない。

だとしたら―

もう、あとは上がるだけだ。


このあたりでしっかりと切り替えて、

少しずつでも、浮上していけたらいいと思う。


まだ心は完全には晴れていないけれど、

踊っている瞬間だけは、確かに何かがほどけていく。

今朝の練習で、以前とは違う小さな何かを拾うことができた。


その小さな変化を頼りに、

明日はもう少しだけ、前に進んでみようと思う。


※2026年4月2日 note記事より