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にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険   ~エクリチュール~・第7話『アンガジュマン、あるいは表現者に残された抵抗』

2026.04.25 05:50

  今週の火曜日のことです。私は週末を待たずに、第6話の公開ボタンをクリックしました。特別な理由があったわけではありません。あるいは、特別すぎる理由があったのかもしれない、というべきでしょうか。殺傷能力を持つ武器の輸出を可能にするという「閣議決定」のニュース。それを耳にしたとき、私の胸の奥で何かが静かに、しかし決定的に音を立てて弾けました。居ても立ってもいられない義憤、と言ってしまえば話は簡単すぎます。それはもっと、生理的な拒絶に近いものでした。予定していたスケジュールを放り出し、今ここにある現実に応答すること。それは図らずも、〝アンガジュマン〟そのものだったのかもしれません。

 サルトルは『真理と実存』(ジャン=ポール・サルトル/人文書院)において、真理について語っています。それは単なる客観的な事実の羅列ではなく、個人がその状況の中で引き受けるべき一種の「責任」なのだ、と。私たちは、不条理に対して沈黙を選んだとしても、それ自体がひとつの選択になってしまいます。しかしバルトは『エクリチュールの零度』(ロラン・バルト/ちくま学芸文庫)において、それとはまた別の次元の参加があることを示唆しました。作家にとっての真のアンガジュマンとは、何を書くかという内容以前に、どのような形式、つまりどのような〝エクリチュール〟を選択するかという地点にあるのです。

 「閣議決定」という、換気の悪い密室で組み上げられた無機質な文体。「お答えは差し控えます」という、責任の所在を煙のように消し去ってしまう死んだ言葉。そんな暴力的なエクリチュールが、冬の霧のように社会を覆い尽くそうとしています。そんなとき、表現者に残された、ささやかな抵抗は、それとは異なる生命力を持った言葉をひとつひとつ選び直すことです。私が週末を待たずにキーボードを叩いたのは、武器という実体的な暴力に対して、せめて「言葉の責任」を取り戻そうとする、私なりの個人的な決断の結果でした。

 武器を輸出するという行為は、私たちの言葉が知らないところで誰かの肉体を傷つける物理的な力へと書き換えられることを、どこかで許容してしまうということでもあります。そんな時代に、言葉をただの情報の道具に貶めてしまうのは、あまりに悲しいことです。今こそ、バルトが夢見た「中立的で誠実な文体」を、権力にハックされた無責任な「白」から、私たちの手に取り戻していく必要があるのかもしれません。

 ふと横を見ると、チャーリーが静かにこちらを注視しています。彼には、私がなぜこれほどまでに激しくキーボードを叩いているのかは分からないでしょう。けれど、彼が享受しているこの平穏な日常を守ることこそが、私のアンガジュマンの究極の目的でもあります。 

「今夜の鰹のタタキ、多めにする !? 」 

 この問いかけには、もちろん「差し控える」ことなく、全力で肯定の返事を送るつもりです。 あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。