2026年 4月26日
4月も下旬になると、萌黄色の新緑も「若葉」といった色合いになり、木々の下には深い影が落ちるようになる。山道を車で走っていても、緑のトンネルを走る感じになってきた。それでも、まだ針葉樹のような常緑樹と、落葉樹では葉の色の濃さに明確な違いがある。それも、もうしばらくすると山の景色は単調な緑一色になっていくだろう。
この土日は爽やかに晴れてくれた。地元の篠原ではイベントがあって、なかなか賑わっていた。私は用事があって、そのイベントにはちらりと見る程度しかできなかったのだけど、地域の素朴なイベントに集る人達が楽しんでいる姿は、やはりいいものだと思った。
私の用事というのは車での外出だったけど、途中、標高が1000メートル近い所を通る場所があった。そこでは山の木々も、ようやく芽吹き始めて「山笑う」頃といったところで、藤野よりも2~3週間は季節が遅れているみたいだ。こういった、少し前の早春の景色を見てみたいと思えば、ちょっと標高の高い所に行けばすぐに実現するのが面白い。
中東での戦争の影響か、近所の店でパーツクリーナー(金属部品などに付着した油汚れを取るためのスプレー式の溶剤)が店頭から無くなっていた。何でも、おひとり様、もしくは事業者に対して数個まで、という販売制限をしても、この状態らしい。さて、これからどうなるかなぁ。なんだか、数年おきに世界のグローバル化にブレーキをかけるような出来事が起きるね。
前回からの話の続き。良い組織、苦境に強い組織、問題解決能力の高い組織は、組織の人々から次々と建設的な提案が出てきて、それを速やかに実践できる所だと書いた。その為には、他者の意見を馬鹿にしたり冷笑したり、価値が無いと黙殺したり、その意見を出した人の人格を傷つけるような侮辱をするような風土があってはならない。引っ込み思案な人でも気軽に発言が出来るような気風を作っておく必要があるし、その祖域にいる人間「全員」が、そのような気風がある事こそが、その組織の活性化に繋がっている事を認識して尊重している必要がある。
勿論、時には複数の提案の中から、「今回は〇〇さんの提案を採用する」という事もあるだろう。それは他の意見を出してくれた人の価値が低いわけではない、という事も、しっかりと話して配慮をする必要がある。
このように、全員が提案するような組織は、組織の人々一人ひとりに対する、優しい配慮が不可欠になって来る。これが昔ながらの、上意下達の組織だったら、下々の者は上の命令に口をはさむ事はなく、ただ命令に従っていればいい、という形になっていただろう。そこには、細やかな配慮は必要とされない。
全員が自覚的に提案し、良い流れを作っていこうと主体的に動く組織であれば、やはり高い人格が必要になって来る。
良い土壌であれば良い作物が育つだろう。痩せた土地では収穫も望めなくなる。それでは、組織における良い土壌とは何か。高い収穫があって、天候不順でも作物を育てる粘り強さがあり、そんな状態が無理せずに長続きする。
まあ、そのような理想の組織の土壌(気風・風土)については、これまでにもさんざん研究はされてきた事だろう。それなりの答えも出ていると思う。ただ不思議なのは、私の身の回りのような、一般人の中で、このような会話がなされることは、ほとんどないという事だ。
やる気もアイデアも次々に湧いてきて、それが組織の幸福、そして組織に属する人々の幸福につながるためには、人々はどうあるべきか。こういった話を、大真面目にしたことがあるだろうか。
私はこの点に、これまで人々が、組織に「良い流れ」を作り出す「主体者」としての、自覚の欠如があったと考える。自らが良い流れを作る主体者ではなく、「上司は判ってくれない、社長は判ってくれない」と愚痴をこぼすだけで思考停止していた時期が、あまりにも長かったのではないか。
ここで話は少し変わる。こういった問題で。スポーツの世界ではどうなっているのだろう。
野球とかサッカーとか、集団でチームを作るスポーツでは、選手の人格について、なにか研究とかあるのだろうか。いや、集団でやるスポーツだけではあるまい。個人で行うスポーツでも、選手とコーチの関係とか、人と人の交流の在り方によって、才能が開花する場合と、開花できない場合もあるだろう。
いや、絶対に既にあるよねえ。こういうスポーツの場での心の在り方、人格の在り方の研究って。そこでは、どんな研究が進み、どんな結論が出つつあるのか。
多分、昔ながらの、ただひたすら「しごけばいい」なんて考えは、否定されていると思うなぁ。