4月26日 主日礼拝
4月26日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
ヨハネによる福音書 20章 19〜29節
「私は主を見た」
弟子たちが復活の主に出会った時に残した言葉。
人が語るべき言葉。
人とは何か。
聖書の神話が告げる人。
蛇に「お前には足りないものがある」と言われて、それを引き受け善悪の知識の木の実を食べたアダムとエバ。
神に弟アベルと異なる評価をされ怒りのあまり弟を殺したカイン。
天に届こうとバベルの塔を建設した人々。
人とは何か。
自分以外のものに心を奪われ、自分以外のものに憧れ、それを何とか自分のものにしようとする。
自分を忘れるもの。
復活のイエスはマリアの名前を呼ぶ。
その時、マリアは世界が見えた。
自分の前にイエスがいるのが分かった。
名前。
世界と私を区別するもの。
私が私だと確認をできるもの。
「私」が分かると世界が見える。
復活したイエスが弟子たちの前に現れる。
その場にいなかったトマスはそれを信じない。
イエスと共にいた。イエスのことを慕っていた。イエスのことが大切で、大好きだった。
イエスを見た。
他人の言葉。
そんな言葉で回復できるほどトマスの心は短絡的なものではない。
自分で確かめなければ信じない。
数日後、再びイエスは弟子たちの前に現れる。トマスの前にも現れる。
「十字架の傷跡にお前の指を入れてみろ」とイエスは言う。
その時、トマスは叫ぶ。
「我が主、我が神よ」
私の神。
誰かの神ではない。
みんなの神ではない。
私の神。
トマスは失ったと思っていた。
大切なものは失われる。
すべては失われる
私自身も失われる。
それが世界の秩序だと思っていた。
なくならない。ある。
私が私を思い出せば、
私が私を忘れなければ
世界が見えてくる。
世界は「ある」で出来ている。
「私は主を見た」
私を忘れない私。
本当の私は復活のイエスを見る。