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天徳山 金剛寺

令和8年5月分金剛寺住職法話

2026.04.30 20:37

【金剛寺住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日に投稿させていただいております法話は、SNSを扱えない人達(檀家のご老人達など)の為に、コピーして配布させて頂いているものです。中には、拙僧法話を読んでいただいております社長さん達が、この1日法話をコピーして、社員さん達に配布しておられる会社も。そうした意味合いから、少々長文になっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんにおかれましては、どうぞ、スルーしてくださいませ。

【はじめに】

1868年5月3日は、江戸城が新政府軍に明け渡された日ですね。1867年11月9日、徳川慶喜公が朝廷へ政権を返納。世に言われる大政奉還です。その6日後、坂本龍馬さんが暗殺されました。が、翌年1868年1月に、新政府軍と旧幕府軍が鳥羽、伏見で激突。旧幕府軍は敗北し、徳川慶喜公は大阪城を脱出し、江戸へ敗走。新政府軍は慶喜公追討の為に江戸へ進撃。1868年4月、新政府軍の西郷隆盛と旧幕府軍の勝海舟が会談し、慶喜公の助命と江戸開城を交換条件とする協定が成立。新政府軍の江戸城総攻撃は中止に。因みに、徳川慶喜公は、大正2年11月22日に崩御。拙僧の婆様が生まれた年にて。檀家さんの中には、遠目ですが、慶喜公を見た人が何人か。そう考えたら、そんな昔の話ではないんですよね。

         令和 8 年 5 月分 金剛寺住職短文法話集

【付録】

下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。

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5月13日に他界した拙僧の爺様(明治41年〜平成2年、行年83歳、今年37回忌)の話を供養の為にさせて頂きたいと思います。この話(爺様の生き様)は、昨今のコンプライアンスに照らすと不適切な場面も多少。まあ、昔の事として読んで頂ければ。満州で土木業の親方をしていた拙僧の爺様ですが、この時期に満州国政府に奉職しておられた三原朝雄(文部大臣、防衛庁長官)さんと知り合い、帰国後も長くその付き合いは続く事に。拙僧18歳の頃、爺様(当時73歳)から「遠賀(福岡県内の町)に連れて行け」と頼まれ、何度か車で三原朝雄事務所へ。爺様と三原さんが話をしている姿を見ると、ここは怖い事務所(極道)なの、という様な雰囲気でしたね。事務所に地域の土木の親方衆が入ってくると、いきなり「親父(三原さんの事)さん、仕事をくれや」と。対し、三原さんが返す言葉で「俺の取り分(マージン)は」と、こうくる。このやり取りを見ていた拙僧に爺様が「博(拙僧の俗名、博文)よ。この言葉の掛け合いで、仕事が成立するんだ。談合があるから、よそ者(裏社会など)が入ってこれず、みんなに仕事が回るんだ。談合を批判する人間がおるが、その意味(世界)のわかっていない知識なき連中(無関係者)が、勝手に訳もわからず、文句、批判を言ってるだけだ」と。

対し、拙僧「ところで爺ちゃん、取り分、って何よ」と尋ねると「人を動かすには、金が掛かるんだ。自分の贅沢に使う訳じゃない。一般庶民の間でも、この国(日本)の風習として、お世話になった人達に夏と冬、お礼を込めて、中元、歳暮を送るじゃろ。お金に関しても、親は子供に『お金の貸し借りは、しちゃならん』と教えながら、親は銀行から借りて、家を建て、車を買っておるがな。綺麗事や建前だけじゃ、世の中は動かん。特に政治家は、人間の欲を相手の仕事だ。そう簡単なものじゃない」と拙僧に。こんな話をすると、現代の基準(常識)に当てはめて、文句を言ってくる人達がいるかも。数十年前の事を掘り繰り返して、大叩きされている芸能人の様に、正義感を暴走させて。それだけはご勘弁頂きたい。何せ、50年以上前の事ですからね。爺様は満州から引き上げて来た後、北九州で山本工作所を初代社長と立ち上げ、その下で三友工業なる会社を。起業資金は婆様が満州時代から、鉄砲の弾の下をかい潜って闇酒を売って稼いだもの。新日鐵八幡製鐵所本社勤務を辞めて、わが寺(金剛寺)を継いだ拙僧の父(爺婆の長男)をも同時に支えていた婆様は、過酷な生活環境により、拙僧9歳(婆様59歳)の時、脳内出血で倒れ、左半身が不自由に。1年1ヶ月入院後、主治医(北九州市戸畑病院の副院長)から「婆ちゃんの左半身は、もう動かない」と宣告を。が、退院後、婆様は本堂内を動かす事が出来る右半身を使って、這いながら傷だらけでお百度参りを。1年後、握力は5まで戻り、チンタカしながらも歩ける様に。その根性たるや、その間、誰にも愚痴を言わず、文句も言わず、黙々と百度参りのリハビリを。

さて、身体は不自由でも口の達者な婆様に、ある日の事、爺様が「社員を連れて、鹿児島の長崎鼻に行って来た」と言うと、婆様が「ほんとに社員旅行だったかどうか、わかったもんじゃないわい。長崎県にあるから、長崎鼻と言うんじゃ。何が鹿児島じゃ、アホか」と、この一言で爺様がブチ切れて、外に飛び出して行った。まあ、爺様は若い頃から『飲む、打つ、買う』のうち『飲む(酒飲めず)』だけはしなかったが、婆様に苦労を掛け続けてきたは間違いないので、信用はないかな。対し拙僧、婆様に「長崎鼻という岬は、鹿児島県の指宿市にあるよ。日本には、長崎鼻という岬は、8つ(千葉、香川、長崎2つ、鹿児島、大分、熊本、愛媛)もあるんだよ」と言うと「ほう、そんな事ね」と。数時間後、爺様は何処ぞから地図を買って来て「ほれ、見ろ、長崎鼻は鹿児島じゃろうが」と鼻息荒く、勝ち誇った顔で地図を突き付けると、婆様はその地図を見ようともせず「あんたがそう思うなら、そう思っとけばいいじゃろ」と。爺様は唖然として、次の言葉が出ませんでしたね。

5月13日の朝5時、爺様が他界を。家に連れて帰ってくると、婆様は爺様にしがみついて大泣きを。若い時に苦労を掛けられた爺様に対し『江戸の仇は長崎で』と言わんばかりに晩年は、爺様をイジメ倒した婆様でしたが、長年連れ添った爺様、やはり悲しいんだな、と。葬式には600人を超える会葬者が。その中に3人、中国人の方がおられ「満州(戦時中)時代、親方に命を助けられて」と大泣きを。通夜、葬式には、家族の知らない故人の一面を、会葬者から知らされる事が結構にある。それで拙僧、檀家さん達には「家族葬はあかん。故人に助けられたは、家族、親族だけにあらず。故人にお礼を言わにゃならん、という人は数多に。その人達の場所を奪う事はならん」と。葬式が終わって、皆々(親族)が帰ると婆様が、爺様の写真を箪笥の中に。「どうしたの」と拙僧が尋ねると「迎えに来られたら、たまらん。これからが、わしの人生じゃ」と。『あんた、さっきまで泣いとったんじゃないんか』と拙僧、心の中で呆れて。やっぱ、女性は生き物が違いますばい。

爺様が他界して1年後、お手伝いさんの夢の中に爺様が出てきて「婆さんを連れていく」と。咄嗟にお手伝いさんが「爺ちゃん、あと3年待って」と返すと「3年じゃな」と生前中の力強い声で。そこで夢が覚めたと。見事に3年後、婆様は爺様に連れて行かれました。お手伝いさんが「あの時『あと10年待って』と何故言わなかったんだろ」としょげるので「口から出た3年が、婆様の寿命だったんじゃないの」と拙僧、そのお手伝いさんに。世のご夫婦さん達、向こうの世界もまた、伴侶(夫、妻)と一緒の様ですばい。この世の世界では、数十年の縁ですが、向こうの世界では、どうも、未来永劫の様で。特に奥様達、諦めましょ。こういうのを、腐れ縁と言うんでしょうかね。

さて、これは余談ですが、先日、奈良へ仕事に。仕事が終わった後、家内と『石舞台古墳』へ。ここは横穴式石室を持つ方形墳で、ここに葬られている人は不明と言われておりますが、6世紀後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子(そがのうまこ)の墓ではないか、というのが有力だと言われておりますよね。蘇我馬子は、古代最大の権力者で、西暦538年に仏教が日本に伝えられると『蘇我氏は受け入れる、物部氏は受け入れない』で二分し、この戦いに勝利した蘇我馬子が用明天皇を退位させ、姉の子供を『崇峻天皇(すしゅんてんのう)』として即位させましたが、のちに崇峻天皇との間で内政・外交における意見の対立が起きると、蘇我馬子は崇峻天皇を殺害。これは日本の歴史において、天皇が家臣に殺害された唯一の事件と言われてますよね。

次に蘇我馬子は、別の姉の子(女の子)を『推古天皇(すいこてんのう)』として即位を。そのあとは推古天皇の「摂政」(せっしょう:天皇の政治を補佐する役職)である聖徳太子と組み、聖徳太子を背後で操り、日本の政治を動かしたとの事。蘇我馬子は645年の大化の改新で殺された蘇我入鹿の祖父に当たります。しかしながら、ほんと、人間の歴史というは、殺し合いの歴史ですもんな。この地球上で最も人間を殺しているは『蚊』という事ですが、人間を2番目に殺しているは『人間』という事ですもんね。恐らく、未来永劫、これ(殺し合い)は続いていくでしょうね。1人の人間の誕生と同時に、1つの欲もまた、誕生してきますもんね。

さて、仏教に関しては、596年(推古4年)、蘇我馬子は現在の『飛鳥寺(あすかでら:奈良県明日香村)』を建立。この度は家内と、このお寺にも参拝を。歴史を感じさせられるお寺ですよね。仏教が日本に伝来して、約60年掛かってやっと、寺院建立に至ったのをみると、どれほど『仏教を受け入れる、受け入れない』で争いが起こっていたのかが、わかりますよな。この蘇我馬子の亡骸を入れていたといわれる石棺のサンプルが、石舞台古墳の横に置かれていましたが、重厚で重みのある石棺にて、5人や10人では持ち上げられそうにない蓋が。その石棺を見た時、ふと、日本のお墓の歴史が脳裏に浮かびました。土葬で亡骸を納めていた頃、夜中にお墓からゴソゴソと出て来られない様に、手足の骨をボキボキ折って甕棺の中に納めていたとの事。それでもまだ出てくるんじゃないかと、墓標として立てていた軽い木塔婆を止め、重しとする為に石の墓に変えたとの事。これってさ「故人から襲われる様な事を、子孫は何かやったんかいな』って話だよね。蘇我馬子の墓も、数人の力じゃ動かせない石棺にしたのは、そういう意味合いがあったんかいな。

        令和 8 年 5 月分  金剛寺住職 臨時法話

5月13日は、拙僧の爺様の祥月命日(立ち日)で、今年で37回忌になります。爺様には様々、色々、教訓をもらいましたが、その中でも井戸掘りの件に関しては「ほう、こりゃ、凄かな」と昔の人の言い伝えなるものに感心しましたね。ある会社の社長さんに「住職よ、井戸を掘ろうと、水脈を調べる機械を使って、何箇所かボーリングしたんだが、一向に水が出ないんだよな。何かよい方法を知らんかね」と尋ねられた事が。

対し「明治41年生まれの拙僧の爺様が、生前、こんな事を言ってましたよ。『晴天(快晴)の日の夜に、漆塗りの重箱を逆さまにして、井戸を掘りたいと思っている何箇所かの場所に置いておけ。朝になって重箱の内側に水滴が付いていたら、その下に水脈がある』と。これ、本当かどうかはわかりませんが、そんな事を言ってましたよ」と。後日、その社長さんから連絡があり「住職の爺様の言う通りにしたら、水が出たよ。助かった、有難う」と。「そりゃ、よかったですね。爺様の言ってた事は、本当だったんだ。昔の人の知識、知恵は、根拠がなくても馬鹿に出来ないもんですね。『迷信は、解明されたら、迷信でなくなる』ですもんな。いつか、この重箱の水滴も解明される日が、くるかもしれないですね」と、この社長さんに。

井戸といえば、1年前のこと、檀家さんの友人の友人の友人とやらに頼まれて、水神上げ(井戸埋め)をした事がありまして。当日、現地に赴くと、その友人(50代女性)とやらが「井戸を埋める土木の親方が『水神上げをしてくれ』と私に。『そんな事はしなくていいから、さっさと埋めてください』と親方に言ったら『お祓いをしないのなら、わしはこの仕事は受けん』と言われたので仕方なく、住職さんを友人の友人に紹介してもらったんです。あんなに土木の親方が嫌がるなんて、水神さんって、そんなに祟るんですか」と。対し、拙僧「昔から、火には荒神さんが、水には水神さんが、宿っていると言われているは、人間は火も水も、10日もなけりゃ、生きていかれんでしょ。よって昔の人は、子々孫々に対し『火を、水を、大切に扱う様に』という思いから、そこには神が宿っている、と定義付けをしたんですよね。その土木の親方さんは、水神さんに祟られるを恐れているのではなく『150年以上も、井戸の水を頂いて生活をさせてもらってきたのに、御礼報謝の、有難うございました、も言わずに埋めてしまうとは、何事や』という怒りから、あなたにそう言わっしゃったんだと思うよ」と。「そう言われてみたら、そうですよね。有難うございましたは、必要ですよね」と、この友人(女性)が。

水神上げが終わった後日、その土木の親方さんからお寺に電話があり「住職、俺の言いたい事を全部、あの女性に言ってくれたみたいやな、有難うな。仮に、本当に、水神さんがいたとしても、神が祟る様な事をするもんかいな。まったく、水神さんに失礼やで。それよりも先祖代々、150年以上もの長い間、水を供給してくれた井戸に『有難う』の御礼報謝もせずに埋めるなんて、言語道断だっちゅうねん。近頃の連中は、してもらってきた事への感謝が無さ過ぎる。そう思わんかい、住職よ」と。さて、次の話は祟りの話ではないと思いますよ。恐らく、偶然が重なったものと思います。

わが寺に拙僧の噂を聞いて相談に来られた60代女性が「私の実家の親戚の家には、江戸時代から使っていた井戸がありまして、その井戸を50年程前から使わなくなったのですが、蓋を閉めて清浄にしておけばいいのに、やりっ放しで、ゴミなども平気で放り込む始末でして。それが原因かどうかはわかりませんが、その家の人の死因が、全て水が関係しておりまして。風呂で溺死、海で溺死など、何人も水に関する死因が続くので、私が『ここの家は200年以上も、この井戸の水で命を保たせてもらってきたんだから、使わないのなら、ちゃんと水神上げをしてもらったら』と言ったのですが『そんな事をする必要はない』と聞く耳持たずでして」と。続けて、その女性が「私が頼みますから、住職(拙僧の事)、水神上げをしてくれませんか」と。対し、拙僧「その家の人達が『する事、いらん』と言ってるんでしょ。なれば、拙僧がズカズカと踏み込む事は出来んでしょ。その家の人達がその気になったら、また、言ってきてください」と、その60代女性に。それから数年後、その女性から連絡があり、まだ、水死が続いているとの事。偶然が重なっているんだとは思いますが、水神上げは、長年のご苦労(命の支え)に対する御礼報謝ですもんね。この様に水死が続いたら、水神さんの祟りじゃなくとも、水神さんのせいにしてしまいますわな、人間は。

【余談】

学校の講演に呼ばれた時、保護者さん達から度々「住職は住職の親御(金剛寺先代)さんから、どういう教育を受けてこられましたか」との質問を受ける事があります。その質問に対し、拙僧「父は言葉数の非常に少ない人で、拙僧が5歳くらいの頃から、一貫して言われ続けてきた事は『見てわからん奴は、言うてもわからん。人は教えられても身に付かん。人は気付かにゃ身に付かん。子供は、親が作った家庭環境の中で、その親が育てていく。されば、親に似た子供が育つ確率が高いは、当然の事。お金にルーズな親に育てられた子供は、お金にルーズな人間になる。時間にルーズな親に育てられた子供は、時間にルーズな人間になる。頭の高い親に育てられた子供は、親と同様に頭が高い人間になる。料理をしない親(特に母親)に育てられた子供は、料理をしない人間に育つ。しかしながら、親を反面教師と見て育つ子供もいるから、こうした事は一概には言えないが。

人間は見た事、聞いた事、体験した事しか、身に付かん。躾(しつけ)は、するものではない。躾(しつけ)は、見せるもの。お前は親の姿をしっかり見て、自分なりに考えて行動しろ』と、その様に言われて、親から育てられましたかね」と、様々な講演会で保護者さん達に。先日も、ある小学校の保護者会に講演を頼まれ、足を運ばせてもらいました。その時に、次の様な話をさせてもらいました。「昨年(令和7年)の12月ですが、東京勤務の檀家の息子さん(30代)が納骨堂参りに来られた時、一緒に参拝に来ていた息子(小学4年生の男の子)に世間話の流れから『君な、知識は学問から得られるが、その知識を活かす知恵は、経験からしか得られん。本の中だけで生きてんじゃねえよ、という大人が世の中にはなんぼでもいるが、経験の伴わない知識者は、ただの、物知りさん、でしかない。ただの、物知りさん、では実戦では役に立たん。本を読んで知識を増やすは大事だが、その知識を自分で動いて確かめる事も必要だぞ』とその男の子に、拙僧」と。

続けて拙僧「すると、横で聞いていたこの男の子のお母さんが、帰り際に拙僧のところに来て小声で『住職さん、今日の話ですが、ドンピシャでした。私の息子は本ばかり読んで、知識だけは豊富なんですが、とんでもないない屁理屈こきになってまして。最近、頭を痛めてたんです。今日は有難うございました』と拙僧に。が、この話には続きがありまして、年が明けて2月の半ばごろ、この男の子の祖父母の家(北九州市内)に仏壇参りに伺うと『昨年の12月に、私どもの孫(小学4年生の男の子)に住職が話をしてくれたでしょ。その事を孫が学校の作文で、北九州のお寺の住職から、知識を付けたら、その知識を身に付ける為に経験をしろ、ただの物知りさんにはなるな、と言われました。知識を付けたら、まずは動こうと思います、と孫が書いたそうです』と、その男の子の爺様が教えてくれました。わが寺の檀家の子供達には、親がいいんでしょうかね、こうした大人の話に素直に耳を傾ける子供が、少なからずおられますよ」と、この講演会で保護者さん達に。

【おまけ】

檀家35歳男性が「赤子を育てるなんぞ、マニュアル通りにやれば、簡単な事よ」と偉そうに。が、そのマニュアル(夜泣きで睡眠不足対策。他諸々対策)通りにしたが、直の経験(対応)はそう容易くなく、悪戦苦闘で悲鳴を。経験なき時は常に「自分の理論、理屈が最も正しい」と人を蹴散らし、批判する典型的な『本の中だけで生きてんじゃねえよ人間』であるこの男性も、経験(赤子対応)と同時に、鼻っ柱をへし折られる事に。親は赤子を育てていると思っていますが、実は親は、立派な親になる様に、赤子から育ててもらっているんですもんね。

この檀家35歳男性に「君な、『本の中だけで生きてんじゃねえよ人間』の拙僧法話を読まれた読者の造園業者社長さんがね『住職よ、瀬戸大橋建設の時にな、役所からお偉いさんが来て、鳶(とび)職の人達に、地下足袋ではなく、安全靴で作業をしろ、と指令を。対し、鳶職の親方が、建設中の大橋のあの上に上がって、まず、お前さんが安全靴で歩いてみろ、と返すと、黙って退いたらしい。経験なき者の戯言だよ」と。

次回の投稿法話は、5月5日になります。