サーファーへの100の言葉 No.007
躊躇してやらないことは思いっきりやって失敗することより大きいんだ
Thinking of holding back is blowing
it more than pushing your hardest and falling.
デーン・レイノルズ
デーンはカリフォルニア州ロングビーチで生まれ、
ロサンゼルス郡南東部に位置する都市ダウニーで育った。
その後、5歳でカリフォルニア州中南部に位置する内陸の都市ベーカーズフィールドに移り住んだ。
サーフィンを始める前は、体操や水泳、スケートボードをしていたらしい。
デーンが9歳の時、親友が海沿いの町であるベンチュラに引っ越したため、
その年の夏休みはデーンもベンチュラで過ごし、その時にデーンはサーフィンを始めたのだ。
その後、デーンの父・トムがロサンゼルスに勤務することになったため
サーファーでもあったトムはロサンゼルスに近い
ハンティントンに住むことを決めていたが、
デーンは父トムにベンチュラに引っ越したいとしつこく言い続けた。
根負けしたトムは家族でベンチュラに引っ越すことに。
それはデーンが10歳の夏だった。
トムは毎日ベンチュラからロサンゼルスに通勤する羽目になったが、
デーンは多くの時間をサーフィンで費やすようになり、
学校が始まる前にサーフィン、
そして放課後も暗くなるまでサーフィンという生活を送っていた。
子どもの頃からデーンと一緒にサーフィンをしていた、
キース・マロイ(Keith Malloy)はこうコメントしている。
「デーンも他のグロム※1達と同じようにうにサーフィンをしていたよ。
でも、一緒にサーフィンに行って、僕がその後昼食を食べて3時間後に戻ってきてても、
彼はまだ海の中にいるんだよ。クレイジーだよね。
子どもの頃の彼は海から全然あがってこなかった。
一日中サーフィンしていたんじゃないかな(笑)。」
※1・・・グロムは「GROMMET」の短縮語。
GROMMETとはサーフィンやスケートボードなど横乗り系のスポーツを楽しむ若者を指す。
そんな彼は2010年にWCTで4位までランクアップ。
2011年は膝の怪我によりWCTツアー初戦から3イベントを欠場した。
そして、同年12月、26歳でWCTツアーサーファーを辞め、
フリーサーフィンやサーフィン映像におけるキャリアを選んでいる。
その後も、デーンの人気は留まることは無く、
WCTの大会にワイルドカードで出場したり、
フリーサーフィンを収録した映像を多く出すことにより、
世界で最も影響力のあるフリーサーファーとしてみなされるようになった。
2015年11月、アメリカのクイックシルバーが破産申請したことにともない、
デーンも長年のメインスポンサーであった
クイックシルバーとの契約を解消。
クイックシルバーとの契約はデーンが
ツアーを引退した2011年から2017年までの6年契約で、
複数の海外サーフメディアによると、
スポンサー料は年間300万ドル超(当時為替レートで3億6千万円以上)
だったと言われていたが、
契約途中で解消したかたちとなる。
もともと「Summer Teeth」というブランドを立ち上げていた。
(東日本大震災の際、Summer Teethの売上げ全てを被災者に寄付)
2017年には「Former」というアパレルブランドを立ち上げ、
また、デーンは自らボードをデザインすることにも精力的で、
チャネル・アイランズ サーフボードにて数々のモデルを発表している。
一度、大きな怪我を経験し、
その後メインスポンサーの破産によるスポンサーの消滅もあり
そんなストーリーの真っ只中にいるデーンだが
常にやりたいことに満身する姿勢は子供のころと変わりがないのだろう。