5/10 「喜びに変わる」 三浦 遙牧師 聖句:ヨハネ16:12-24
今回の箇所の冒頭にて「しばらくするとあなた方は私を見なくなるが、またしばらくすると私を見るようになる」というイエスの言葉は、原語ギリシア語の「ミクロン」が繰り返される独特な表現で、弟子たちは「何のことだろう」と首をかしげます。これは伝統的にイエスの受難予告と理解されると同時に、十字架の後に訪れる復活、聖霊降臨、そして終末における再会をも指し示すと解されてきました。
このヨハネ福音書が記された一世紀末頃は、「ビルカット・ハ・ミニム」と呼ばれる祈祷文によって信徒が会堂から追放され、自分こそ神に仕えていると主張する人々によって教会が迫害される時代でした。「なぜこのような目に遭うのか」と信仰が揺らぐ人々に対し、イエスは今の悲しみは先に与えられる大きな喜びのための産みの苦しみであり、その先の希望によって塗り替えられるのだと語られます。21節の産みの苦しみのたとえは、旧約以来、終末の新しい時代の到来を象徴する表現でもあります。
さらに「その日にはあなた方はもはや何も尋ねない」と、これまでの嘆きや疑問が一切よぎらないほどに満たされる恵みが約束されます。続けて「わたしの名によって願いなさい」と、単なる祈りの形式を超え、キリストとの結びつきの中で歩むことが勧められるのです。
私たちが日々の生活の中で抱える「なぜ?」という問いにも、いまだ納得のいく答えは示されていません。それでも、それを越える御恵みが備えられているという力強い希望が、この言葉に表されています。鳳教会のこれまでの宣教にも多くの苦難があったことでしょう。これからの歩みにおいても、ヨハネ福音書の時代の教会がそうであったように、み言葉に励まされ、悲しみが喜びに変えられる恵みに感謝しつつ、主の道を歩んでまいりたいと願います。この苦しみに勝る大きな喜びがいち早く世界に示され、新しい一週間も皆が元気に過ごせますように。