日録5月9日
日録5月9日
1900年5月9日 明治33年
【内 閣】
第2次山縣有朋内閣
総理 山縣有朋/外務 青木周蔵/内務 西郷従道/大蔵 松方正義/陸軍 桂太郎/海軍 山本権兵衛/司法 清浦奎吾/文部 樺山資紀/農商務 曾禰荒助/逓信 芳川顕正
内閣書記官長 安広伴一郎/法制局長官 平田東助
【元 老】
黒田清隆 伊藤博文 山県有朋
【東 京】
府知事 岡部長職/東京市長 松田秀雄
澁澤榮一が男爵に叙爵。実業家では4人目。1920年、長年にわたる公益事業への功績が認められて渋沢は男爵からワンランク上の子爵へと陞爵。
1901年5月9日 明治34年
【内 閣】
第2次山縣有朋内閣
総理 山縣有朋/外務 青木周蔵/内務 西郷従道/大蔵 松方正義/陸軍 桂太郎/海軍 山本権兵衛/司法 清浦奎吾/文部 樺山資紀/農商務 曾禰荒助/逓信 芳川顕正
内閣書記官長 安広伴一郎/法制局長官 平田東助
【元 老】
黒田清隆 伊藤博文 山県有朋
【東 京】
府知事 岡部長職/東京市長 松田秀雄
初のオーストラリア連邦議会(オーストラリア国会)が開会
1905年5月9日 明治38年
森永商店(現在の森永製菓)がエンゼルマークを使用開始
1920年5月9日 大正9年 日
「午前10時御出門、新宿御苑に行啓され、ゴルフ競技を行われる。午後3時45分還啓される。この頃より皇太子はゴルフへの興味を強められ、御学問所の休憩時や放課後にもしばしば練習を行われる(昭和天皇実録第二 東宮御学問所時代)」
1925年5月9日 大正14年
九州送電株式会社設立。
田中都吉、駐ソ大使に任命される。
農林省、副業奨励規則を公布。
1926年5月9日 大正15年
・銀座の松屋デパートで日本初のビルからの飛び降り自殺。
松屋の8階から池野富蔵という男性が飛び降り自殺。藤江という女性に捨てられたためとみられる。
遺書「僕の身は死しても心霊は藤江の身を離れない。そして藤江の兄を恨む、母も恨む、終りに藤江も恨みたい気もする。しかし愛が勝っているようだ。お願いだから一緒の所に葬ってくれ。藤江もそう思ってくれ。僕は今酒を飲む。」
これが引き金となり、各地で同様の自殺が相次ぎ、手を焼いた警察は見せしめ的に死体をしばらく放置して食い止めようとした。
・アメリカの軍人リチャード・バードとフロイド・ベネット、フォッカー単葉機で最初の北極点飛行に成功。往復1,500マイルに15時間。
使用機はフォッカー3発機「ジョセフィン・フォード」号。スピッツベルゲンのキングスベイから北極点までを15時間で往復した。1927年にはフォッカー3発機「アメリカ」号でオルティーグ賞の懸った大西洋横断飛行に挑戦するが、事故などで出発が遅れ、横断に成功(ただしノルマンディーに不時着)したのはリンドバーグの1か月以上後の6月29日-7月1日だった。また、1929年11月28日から29日にかけて、南極大陸ロス氷原のリトル・アメリカ基地から南極点までの往復と初の南極点上空飛行に成功した[1]。乗務員はバードを含め4名。使用機はフォード4AT・3発機「フロイド・ベネット」号。飛行時間は15時間51分。この南北両極への飛行成功により、国民的英雄となった。その後、1946年から1947年にかけてのハイジャンプ作戦をはじめ、1939年から1950年代まで5度にわたるアメリカ海軍の南極調査の指揮をとった。
・米海兵隊、ニカラグアに上陸。6.5 撤退。
1945年5月9日 昭和20年
海軍所属忠誠隊 振天隊 第18大義隊特攻出撃(日本本土近海・沖縄)。零戦7 彗星2 99艦爆2 96艦爆3機未帰還。
陸軍所属誠第33・第34・第35・第123飛行隊特攻出撃(日本本土近海・沖縄)。二式複戦1 四式戦3機未帰還。
ドイツ軍、5月8日午後11時01分(中部欧州時間)全面降伏発効。
前日のドイツの降伏文書調印を受け、第二次大戦のヨーロッパ戦線で戦闘停止。
日本政府、独の降伏を遺憾とし「ドイツ降伏後も日本の戦争遂行決意は不変」と声明。