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Art of Being - Seeing More Deeply

AIは、その人の想像力に応答する

2026.05.10 16:34

「ChatGPTは、使い続けると成長するんですか?」

先日、1D1U LANDに参加された方から、そんな質問を受けました。


なるほど、と思いました。

たしかに、使い続けていると、AIが自分に馴染んでくるような感覚があります。


こちらの言葉の癖。

よく扱うテーマ。

文章のリズム。

何度も戻ってくる問い。

そういうものを、少しずつ覚えてくれているように感じる。


では、AIは成長しているのか。

私は、半分YESで、半分NOだと思っています。


AIがこちらに馴染んでくる感覚は、たしかにあります。

でもそれは、AIが勝手にどこかへ成長して、理想の相棒になっていくというよりも、

こちらがどんな問いを投げているのかを、だんだん正確に映していくような感じに近い。


AIが変わっているようで、

実は、自分の問い方がそのまま返ってきている。

そんな気がします。


たとえば、いつもサバイバルモードでAIに問いかけていたとします。

「どうしたら怖くなくなりますか」

「どうすれば失敗しませんか」

「何がいけなかったのでしょうか」


そう聞けば、AIは答えてくれます。

慰めてくれる。

原因を整理してくれる。

対策も出してくれる。


それはそれで、とても助かります。

私も、何度も助けられています。


でも、その問いがずっと同じ場所から出ているなら、

AIの答えも、やはりその場所の中に留まりやすくなる。


怖さから聞けば、

怖さを前提にした答えが返ってくる。


失敗しないために聞けば、

失敗を避けるための答えが返ってくる。


正解を探して聞けば、

正解らしきものが返ってくる。


それは便利です。

でも、そこには少しだけ、狭さもあります。


一方で、問いの置き方を変えると、AIの返答も変わります。

「ここには、どんな可能性がありますか」

「別の見方をすると、どうなりますか」

「これを美術館の入口のようにするとしたら?」

「まだ言葉になっていないものを、どんな形にできますか?」

そう問いかけると、AIは急に、別の顔を見せます。


同じAIなのに、

まるで違う場所の扉が開くような感じがする。


今週、私はChatGPTとClaudeを使って、ホームページをいくつも作っていました。

最初に出てきたページは、きれいでした。


ちゃんと整っている。

見やすい。

情報も入っている。

でも、どこか普通に見えました。

悪くはない。

でも、まだ世界が立ち上がっていない。


そこで、私はClaudeに言いました。

「美術館のように」

「デュフィのような色の軽やかさで」

すると、ページの空気が変わりました。


色の置き方。

余白。

動き。

入口の感じ。


ただのホームページではなく、

少しだけ、展示空間に近づいた。


さらに、ページの入口について考えていたとき、

先日見たオルセー美術館展のことを思い出しました。


展示の最初に、バジールのアトリエの絵がありました。

そこから印象派の物語が始まっていくような、

静かな幕開けでした。


大きな説明があるわけではない。

でも、その一枚の前に立つと、

これから始まる世界に、少しずつ足を踏み入れていく感じがありました。

あの感じを、ホームページの入口にも作れないだろうか。


そう思いました。

そしてAIに、こう投げました。

「展示の最初の一枚のように、訪れた人が世界に入っていける案内を作りたい」

すると、絵本のようにめくれる案内ページができました。


ページを読むというより、

少しずつ、その世界に入っていくようなもの。


そのとき、あらためて思いました。

AIはすごい。


でも、AIが勝手にその世界を思いついたわけではありません。

私が、何を美しいと思ったのか。

何に心が動いたのか。

どんな入口を作りたいと思ったのか。


それを投げたから、AIはそこに応答してくれた。


AIは、その人の想像力に応答します。


だから、AIをどう使うかは、単なる操作方法の話ではないのだと思います。


どのツールを使うか。

どんなプロンプトを書くか。

どこまで自動化できるか。

もちろん、それも大事です。

けれど、それ以前にあるもの。

その人が何を見ているのか。

どんな問いを持っているのか。

何に可能性を感じているのか。

どんな世界を立ち上げたいと思っているのか。


そこが、そのままAIとの対話に出てきます。


AIに何を聞くかは、

自分が世界をどう見ているかと、かなり近いところにある。


そしてこれは、人が人を見るときにも似ています。

目の前の人を、

「困っている人」

「できていない人」

「答えが必要な人」

としてだけ見るのか。


それとも、

「まだ言葉になっていないものを持っている人」

「見方が変われば動き出す人」

「自分でも気づいていない可能性がある人」

として見るのか。


そのまなざしによって、返す言葉は変わります。


同じ話を聞いていても、

同じ沈黙の前にいても、

こちらが何を見ているかで、差し出す言葉は変わってしまう。


AIに可能性を見る人は、

人の中にも可能性を見る目を持っているのかもしれません。


AIは、その人の鏡です。

でもそれは、ただ今の自分を映す鏡ではない。


自分がどこまで想像できるのか。

どこまで別の見方を持てるのか。

まだ形になっていないものを、どこまで信じられるのか。

そこまで映してしまう鏡です。


だから私は、AIを使うたびに思います。

AIを育てているようで、

本当は、自分の問い方を育てているのかもしれない。


AIを使いこなしているようで、

本当は、自分のものの見方を見つめ直しているのかもしれない。


次にAIに何かを聞くとき、

少しだけ立ち止まってみる。


私は今、AIにどんな問いを投げかけているのだろう。

怖さから聞いているのか。

正解を探しているのか。

失敗を避けようとしているのか。


それとも、

可能性を見ようとしているのか。

別の見方を探しているのか。

まだ形になっていないものを、一緒に見つけようとしているのか。


AIの答えを見る前に、

自分の問いの出どころを見てみる。

そこから、AIとの対話は少し変わっていくのだと思います。


AIを使うことは、

自分の問い方を見つめることでもある。


そしてたぶん、

自分がどんな世界を見ようとしているのかを、

静かに知ることでもあるのだと思います。

Art of Being | 堀口ひとみ

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