18世紀末のブルージャグ。
青色のグラス、取っ手付きのジャグ(高さ 左 9 cm、右 8,5 cm)、イギリス18世紀末頃。割と珍しい物、右のほうがガラスも厚く青色が深い。花を活けてもいいが、これだけを飾っても充分存在感があるえ。末とはいえ18世紀のグラスは雰囲気がある、持ち手は歪んでいるようで意外と持ち心地が良い、矢張りこの時代のガラス職人は上手い。ちょっと高級なお店に飾ってあっても様になる。
最近この辺の空き家も改装されたりして民泊の宿がじわじわと増えている。良くない傾向だ、何故かというとゴミの不法投棄などが増えているのだ。先日も有料ゴミしか出せない朝にただのビニール袋に入れたゴミが出されていた、これはその日の当番さんが袋から出して再処理しないといけないことになる。実際ゴミ置場の近くにも民泊の宿がある、勿論僕が捨てるのを見たわけではないが、民泊が増えるにつれてゴミの不法投棄が増えているのは事実だ。この平和な金沢の街が荒れている、残念なことだ。民泊をやっている人が県外の人だったりもするケースも多い、そういう人が泊まる人や管理者に地元のゴミ捨てルールを徹底してるかは分からない。こうやって金沢ののんびりした雰囲気は壊れていく。金沢市も外国人観光客が増えて喜んでいる段階ではもうないと思う。
七月のトークの予習の為に「文人的」ということについて考えている。日々考えていると色んなことが思い浮かぶ、そもそも「文人」という言葉自体が曖昧なので、その言葉を定義するにも色んな方向から攻めて外堀を埋めていくようなやり方しかないように思う。当日のお楽しみになので、内容はここでは書けないが多岐に渡る概念や言葉を援用して考えていくのだが、この「文人的」は中々捕まらない、難しい言葉だ。それでも、この現代にあって「文人的生活」というものが成り立つと思う、いや、そう思いたいのだ。この生き難い時代を「文人的」に生きていく意味について考えたいと思っている。
これ以上書くとネタバレしそうなのでこの辺でサヨウナラ。