3月5日 南九州市[知覧武家屋敷]→鹿児島市喜入(23km)
今日は久々の快晴。
清々しい青空の下、知覧の市街地にある「知覧武家屋敷」を散策することに。
武家屋敷が近づいてくると、それらしい雰囲気が漂う街路樹へと変わってくる。
武家屋敷入り口に到着。
入り口から入ろうとすると、係の女性が近寄って来て観覧料を集金。
晴れて、散策開始となる。
知覧武家屋敷は、全長約800mの侍町の通りを中心に武家屋敷群が並び、集落を形成している。
この武家屋敷群は、第十六代・佐多久達の時代に島津姓の使用と私領地化が許されたことから、しだいに城塁型の区画が形成されていき、第十八代・島津久峰の時代に現存の街並みとなった。
また、この道は、藩政時代、鹿児島への往来に使われた街道でもあったという。
折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と大刈り込みの生垣が美しく、「薩摩の小京都」とも呼ばれ、1981年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
薩摩藩(島津77万石)は、領地を「外城」と呼ばれる113の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に「麓」と呼ばれる武家集落を作ることで鹿児島市内に武士団を集結させることなく、各地に分散させて統治にあたらせていた。
知覧は、その外城の一つなのである。
整然と積まれた石垣の上には、生垣が配置されているが、まるで波を打つように美しい曲線で刈り込まれているのに驚く。
この刈り込みの技術、この周辺にある茶畑の刈り込みの技術と関係があるのかと、KY夫婦は深読みをしたが、真相は定かではない。
晴天の青空と生垣のコントラストを楽しみながら、ところどころに開放された武家屋敷の庭園を、一軒一軒覗いて拝見する。
これらの住居のいくつかは、今でも現役。
時には、見学不許可の家も。
こんなオブジェでお詫びの気持ちを表現してくださっている。
観光客思いの御主人。
生活圏に入り込んで、こちらこそ、お邪魔をして申し訳ありません m(_ _)m。
さて、この辺りの表札を見ると「佐多」の名字が多い。
島津家ゆかりの御一族なのだそう。
集落もそろそろ終盤に差し掛かったころ、ふと道の真ん中におかしな物体が。
何かと思ったら……
猫だった。
そろそろ武家屋敷通りの突き当たり。
沖縄でちょくちょく見かけた「石敢当」が置かれている。
そこから左に曲がり、並行する車道に出る。
道沿いには水路が設けられ、大きな錦鯉が放たれていた。
気持ちよく散歩をしたのち、知覧の街をあとにし、一路東へ。
小さな峠を越えたところで、眼前に錦江湾がパッと広がる。
海岸線を南下し、鹿児島市と喜入町の境辺りで、マングローブのメヒルギ生息地北限の看板を発見。
マングローブは、石垣島には6種類、宮古島、沖縄本島には4種類、奄美大島には2種類、種子島、屋久島、そして、ここ喜入町には1種類と、南から順に種類が減るらしい。
さらに海岸沿いに進むと、石油備蓄基地の巨大なオイルタンクが並んでいる。
今日は、この隣にある道の駅「喜入」の駐車場に宿泊することにする。
ここには温泉や温水プール、運動場が併設されており、すぐ目の前にはスーパーマーケットがあるという、なかなかハイスペックな道の駅である。