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脳性麻痺ライター・著者 東谷瞳  |障害と生きる日々

1.見つめ合うだけで、人は変われるのか

2026.05.11 23:47

「知らない人と見つめ合ってください。そのあと、手をつないでください。」

ある交流会で、そんな不思議な指示が出た。

正直、戸惑った。

知らない人と目を合わせるだけでも緊張するのに、手をつなぐなんて、ハードルが高すぎる。

でも、やってみると不思議なことが起きた。

最初は気まずかった空気が、少しずつやわらいでいく。

言葉を交わしていないのに、「この人、怖くないな」と感じる瞬間があった。

手の温かさが、そのまま安心感につながっていくような感覚だった。

そのとき、ふと思った。

——理解するって、こういうことなのかもしれない。

私たちは普段、「理解する」というと、言葉で説明できることや、知識として知ることをイメージしがちだ。

障害についても同じで、「正しく知ること」が大切だと言われる。

もちろん、それは間違っていない。

でも、その場で感じたのは、もっと違う種類の“理解”だった。

言葉がなくても伝わるもの。

理屈じゃなく、感覚で「大丈夫」と思えること。

もしかしたら、私たちは「わかろう」としすぎているのかもしれない。

正しく理解しよう。

間違えないようにしよう。

失礼にならないようにしよう。

そう思えば思うほど、距離は縮まらない。

実際、「何か手伝いましょうか」と声をかけるのは、とても勇気がいる。

どう思われるだろう。

余計なお世話にならないだろうか。

そんなふうに考えて、結局、何もできなかった経験がある人も多いのではないだろうか。

でも、あのときの“見つめる”“手をつなぐ”という行為には、そんな迷いはなかった。

ただ、そこにいる相手と向き合うだけだった。

そのシンプルな行為が、言葉以上に相手との距離を縮めていた。

考えてみれば、「理解する」という言葉自体、人によって意味が違うのかもしれない。

すべてを知ることが理解なのか。

同じ気持ちになることが理解なのか。

それとも、「違うままでもいい」と思えることが理解なのか。

きっと、どれも間違いではない。

Flowerの中でも、「理解とは何か」という問いには、一つの答えは出なかった。

でも、それでいいのだと思う。

むしろ、答えが一つに決まらないからこそ、私たちは考え続けることができる。

あのとき感じた、言葉にならない安心感。

それもまた、確かに“理解”の一つの形だった。

もし、誰かとの距離に迷ったとき。

何を言えばいいかわからなくなったとき。

まずは、少しだけ立ち止まって、相手を見てみる。

それだけでも、何かが変わるかもしれない。