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令和8年3月度 御報恩御講 拝読御書

2026.05.12 22:11

令和8年3月度 御報恩御講 拝読御書


『阿仏房尼御前御返事(あぶつぼうあまこぜんごへんじ)』 

建治(けんじ)元(1275)年9月3日 聖寿54歳


法華経を持(たも)ち信ずれども、誠に色心相応(しきしんそうおう)の信者、能持此経(のうじしきょう)の行者はまれなり。此等(これら)の人は介爾(けに)ばかりの謗法はあれども、深重(じんじゅう)の罪を受くる事はなし。信心はつよく、謗法はよはき故なり。大水(だいすい)を以(もっ)て小火をけ(消)すが如し。

(御書905㌻10〜11行目)


【背景・概要】

 本抄は建治元(11275)年9月3日、日蓮大聖人様54歳の御時に身延(みのぶ)において認(したた)められ、佐渡の阿仏房(あぶつぼう)夫人・千日尼(せんにちあま)(※阿仏房・千日尼・・・本抄執筆の4年前、大聖人様が佐渡配流(はいる)となった際、念仏を捨てて大聖人様に帰依(きえ)しました。それからは、妙法唱題に励むかたわら、人目をしのんでお給仕(きゅうじ)に尽しました)から「謗法の浅深軽重(せんじんきょうじゅう)にはどのような罪報(ざいほう)があるのか」(阿仏房尼御前御返事905㌻)との質問に対する御消息(御返事)です。

 はじめに、法華経は一切衆生(いっさいしゅじょう)皆成仏道(かいじょうぶつどう)(一切の衆生は皆仏道を成ずる)の教えであり、これを信ずる者は成仏を遂げ、謗ずる者は無間大城(むけんだいじょう)に堕ちると仰せられます。更に拝読の御妙判では、過去にわずかな謗法があったとしても強盛な信心があれば深重(じんじゅう)な罪とはならないと教えられています。また、謗法には浅深(せんじゅう)があることも説かれた上で、正法誹謗(謗法)の者へは厳しく呵責(かしゃく)していかなければならない旨も教えられ、信心が進んでいけば、仮に周りの人から憎まれることもあるが、確信をもって仏道修行に励むよう諭(さと)されます。最後に、謗法不信の心を取り除いて信心を一層堅固にするよう誡(いまし)められ、力の限り謗法を破折していくことを御指南されて、本抄を結ばれています。


【語句の解説】

浅深軽重(せんじんきょうじゅう)・・・浅とは浅い。深とは深い。軽とは軽い。重とは重い。ことをいう。

色心相応(しきしんそうおう)の信者・・・色心相応の色とは身体。心とは心。ここでは、身体と心が一致していることを言い、色心ともに正しく実践する信者をいう。

能持此経(のうじしきょう)の行者・・・能持此経とは法華経『分別功徳品(ふんべつくどくほん)第十七』に説かれ「能(よ)く此の経を持たん」と読み、いかなる難が起こっても正法を持ち続ける行者をいう。

介爾(けに)・・・極めてわずかであること。

謗法(ほうぼう)・・・誹謗正法(ひぼうしょうぼう)の略。正法に背くこと。また妙法を信ぜず、行じないこと。


〔通 釈〕

 法華経を持ち信じていても、誠に色心相応の信者、能持此経の行者はまれである。これらの人々はわずかな謗法があっても深重の罪を受けることはない。信ずる心は強く、謗法は弱いゆえである。譬(たと)えば大水をもって小火を消すようなものである。


【御妙判を拝して】

 拝読の御妙判では、①身体と心が一致した色心相応の信者といかなる難が起こっても正法を持ち続ける能持此経の行者(僧侶)は稀であること。②①の僧と信徒が居たとすれば、仮に少しの謗法をしてしまったとしても重い罪とはならない。何故かと言えば、謗法よりも御本尊様を信じる力が勝っている。と仰せられています。

 謗法の重罪について、大聖人様は法華経『譬喩品(ひゆほん)第三』の「もし法華経を人信じず、法華経を毀謗(きぼう)するならば、その人は成仏への種が立たれ(中略)そして死した後には無間地獄に堕ちるであろう」(法華経一七五 趣意)との経文を引かれ、謗法の罪は深く重いものであり、成仏への道を途絶えさせてしまうと教えられています。我々は謗法を犯したくないものですが、第六十六世日達上人は「誰にも過去には謗法がある。信心する前は背いているのであるから謗法がある(中略)過去の謗法は必ずいま我々が強い信心をすれば消えていくのである。」(達全2—4—272)と仰せられています。生きている以上、色々な場面で謗法に縁をする可能性があります。仮に知らず知らずに謗法行為を犯してしまうならば深く反省し、よくよく気を付けながら信心に励むことが大事でありますが、日達上人は「しかしながら信心しながら謗法をしておったのではなんにもならない」(同)と意識をせずに謗法行為を犯してしまうのは論外であると仰せられています。

 大聖人様は『涅槃経(ねはんぎょう)』の「謗法の者を見て、破折をしていかなければ、その人は仏法の中の怨(あだ)であり、謗法を責める者こそ真の仏道修行者である」(大正蔵12-381趣意)との文を引かれ、謗法をしていることを知りながら、見過ごす人は、謗法行為をする人が必ず地獄に堕ちることを知っていながら言わないことは無慈悲の者との誹(そし)りを免れることは決してできない。謗法行為に対してハッキリと破折をする者こそ、真の仏道修行者であると謗法呵責(かしゃく)(折伏)の大事を教えられています。更には言えば、謗法を破折しない人は、謗法与同罪(ほうぼうよどうざい)となり、謗法を犯していなくても地獄への原因を作ってしまうのです。拝読の御文に「大水を以て小火をけ(消)すが如」と仰せのように、私達自身の謗法罪障消滅(ほうぼうざいしょうしょうめつ)のため、まずは勇気を持って破邪顕正の折伏を実践していくことが肝要です。

 謗法破折折伏は難しいものではありません。難しい教学用語が絶対に必要でもありません。相手を思い、真心から謗法を破折することが折伏です。そのために必要なことは、強い信心です。それを得るために必要なことは、強い信心を得られるよう御本尊様に唱題を行うことです。御本尊様に対する絶対の信を持って、唱題に唱題を重ねることで、必ず強い信心を得ることができます。それを得られた人は、必ず謗法破折=折伏ができ、成就するまで諦めず励行し続けられます。

 折伏対象者は、信心をしていないすべての人です。一人でもこの対象者が居ることを知りながら、判りながら折伏に励めない人は、謗法与同罪となります。折伏する勇気を持てるよう。折伏する力を得られるよう。百日唱題行に僧俗一致・異体同心して励行しましょう。


春季彼岸会 

3月20日(金・祝日)午後1時・午後7時

3月23日(日) 午後1時

以上