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エグゼクティブ・コーチ 和気香子

AIに頼めばよかった、と思わなかった理由

2026.05.15 07:35

10年ほど前、ある大学の教授が、Entrepreneurshipに関する授業にゲスト講義を依頼してくれた。その大学は全ての講義が英語で、学生は日本人と留学生が混在する。2コマ分、休憩を除いても2時間20分である。

留学経験はあるものの、日本人特有の読み書きはまあまあ出来ても、「I am not good at speaking」であった。プロジェクターで映し出す資料だけではなく、喋ることを全て英語で準備しないとならない状態だった。

でも、依頼してもらえたのは嬉しいことだったし、頑張った。伝えたいことを考える、それをPPの資料にする、そして、英語の完全スピーチ原稿を作る。全て時間がかかった。何を伝えたいかは決まったし、それをどんな例を挙げて伝えれば、文化背景の異なる色んな国の学生に届くか、何度も考えた。考える楽しさだった。それをPPの資料にした後、今のようにGoogle翻訳も充実していなかったので、日本語原稿を作って「翻訳してね」では済まなかった。そして、日本語で文章を作ってしまうと、英語にするのが大変なのも知っていた。ちょっと論理構造がちがうのか? だから、スピーチ原稿も英語で考えた。英語の表現が正しいかどうか、似たような文章がネイティブのサイトにあるかチェックしながら、一文一文作っていった。大変だった。でも、楽しかった。

その資料は今も使っている。伝えたいことはずっと同じだから。原稿は、毎年ちょっとだけ冒頭部分を変えたりしている。なお、私は一方的に話して知識を伝えるのは好きでないので、インタラクティブに考えて発言してもらう形式にしており、その分自分が話す時間は少なめだ。

そして今年、同じ教授が異なる大学で教鞭を取ることになり、またゲスト講義を依頼してくれた。90分のコマである。2時間20分分の原稿を3分の2程度にしなくてはならない。伝えることは変わらない。資料は変えたくない。そこで、昨年使用したスピーチ原稿——ここまで何分等書いてあるもの——をClaudeに渡して、これを90分にしてとお願いした。あっという間に出てきた。何回か私の希望を伝えて変更してもらったけど、それでもとても楽だった。Claudeのおかげで助かったと思った。

そして、その後、考えた。今回は「脳の体力」を使ってないぞ、と。何を伝えようか、どんな例を挙げようかを考える、産みの楽しさでもある苦しみ。英語原稿を作るために費やしたながーい時間。頭を質・量ともに使いすぎるとスパークするような感じになることがある。そういう時、「ああ、脳の体力使ったなあ」と思う。今回はその感覚が、なかった。


「脳の体力」とは何か

あの、10年ほど前にもがいた時間の中で、何が育ったのだろう。

魂を入れたと思う。言葉を一個一個選ぶ苦労の中で、「私はこれをこう言いたい」という表現が生まれた。何を入れて何を捨てるかを自分で格闘したから、内容の骨格が自分のものになった。調べている途中で「あ、これも使えそう」という予期しない発見があった。

全部ひっくるめて言うと——体力だと思う。知的にも、精神的にも、時間的にも。もがいた時間の総量が、体力になっている。


では、これからの世代は?

AIが「出力」を楽にしてくれる分、「もがく経験」が減っていく。それは止められない流れだと思う。多くの人にとって農業に必要な体力が不要になったように、「調べてまとめる脳の体力」はいらなくなっていく。

でも、私が10年前に得たのは、調べてまとめる体力だけではなかった。

これを書きながら、ずっと気になっていることがある。AIネイティブ世代は、どこで脳の体力を育てるのだろう。「こんなことが言いたい」でAIが資料も原稿も作ってくれる世界で、何が育つのか。

多くの人は「クリエイティビティ」と言う。でも私にはまだわからない。もがかずに、創造性は育つのだろうか。

答えはまだない。今度、ゲスト講義をする大学で、その学生たちに、時間があったら聞いてみようと思っている。