ワカンナクナイ
このところ風の強い日が多く、はがれてしまったマルチシートや防草シートを連日手直ししていて、とうとう植えて間もないトマトもある日の風に振り回されて、かなりの数が折れてダメになってしまいました。
雨とか風とか夏の暑さとかに翻弄されながら作業をしていると決まって思い出されるのが宮沢賢治の「雨ニモマケズ」で、この詩を思い出すと自動的に井上陽水の「ワカンナイ」が頭に流れ、するとぼくは曲に合わせてそのいきさつまでがセットで思い出されることになっています。
井上陽水は宮沢賢治のこの詩でひとつ曲を作ろうと思い立ち、いざとなると案外あやふやで心配になり、どんな詩だったか友達の作家の沢木耕太郎に電話をかけて、かかってきた方は宮沢賢治なんてどこの本屋にも一揃いあり、立ち読みすれば事足りるのにわざわざ自分を頼ってくれたのが嬉しくて、自分の荒れた本棚からやっと見つけて引っ張り出してきた詩集から、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ、、、」と頭から読んで聞かせてやり、陽水は電話口でメモをするでもなく耳だけで聞いているみたいで、ときたま、「あらゆることを自分を勘定に入れずにか、、、まったくすごいことをいうね。」と唸ってみせるものだから、沢木耕太郎の方も一線のシンガーソングライターの感受性にふれて心底感嘆してしまった、というようなエピソードがあり、ぼくはこの流れの全体が昔から好きで、折にふれて思い出してしまいます。
「ワカンナイ」で井上陽水は賢治の「雨ニモマケズ」をふまえて、「君の時代は今ではワカンナイ。慎み深い願いもワカンナイのよ~。」と歌っていて、時代は80年代、バブルもバブルで真っ盛りというわけで、賢治が夢見た玄米と味噌と少しの野菜があればそれでよく、まわりの人からいつもでくのぼうといわれても笑っている、みたいな生活の柄は確かに、これはもうどうやっても「ワカンナイ」ということになりそうですが、陽水が歌ってそこから40年、宮沢賢治が死んで100年くらいたった現在は、精神性の周期も順調に一周回り消費するだけにも半ば飽きてきて、その上資源が無限ではないということもはっきりわかってきた今日この頃では、むしろ半強制的になんとなく賢治のその心がわかってきたような感じがしないでもない気がします。君の時代は今ではワカンナクナイという感じです。
(ニュースレター記事より)