2.「手をつなぐ」ことがくれた信頼の正体
知らない人と手をつなぐ。
それは、思っている以上に勇気のいることだった。
交流会で「見つめ合ったあと、手をつないでください」と言われたとき、頭では理解していても、体が一瞬止まった。
この人はどんな人だろう。
嫌がられないだろうか。
変に思われないだろうか。
ほんの数秒の間に、いろんな考えが頭をよぎる。
でも、そっと手を伸ばしてみた。
触れた瞬間、少しだけ力が入っていた自分の手に気づく。
相手も同じように、少しぎこちない。
そのぎこちなさが、不思議と安心感に変わっていった。
——あ、この人も同じなんだ。
そう思えたからかもしれない。
言葉は交わしていない。
相手のこともほとんど知らない。
それでも、「怖くない」と感じた。
むしろ、「この人となら大丈夫かもしれない」とさえ思えた。
手をつなぐという、たったそれだけの行為が、関係の前提を変えてしまう。
疑う前提から、信じてみてもいいかもしれない、という前提へ。
普段の私たちは、相手を知ってから信頼しようとする。
どんな人か。
何を考えているか。
信用できるかどうか。
順番としては、それが自然に思える。
でも、あのときは逆だった。
先に「つながる」ことで、あとから信頼がついてきた。
考えてみれば、日常の中でこんなにシンプルに“つながる”ことは、あまりない。
特に、障害がある人とない人の間には、目に見えない距離が生まれやすい。
どう接すればいいのか分からない。
失礼にならないか不安。
手を出していいのか迷う。
そんな気持ちが、少しずつ距離を広げていく。
でも、あのときのように、言葉よりも先に「関わる」ことができたら、何かが変わるのかもしれない。
もちろん、現実はそんなに単純じゃない。
いきなり手をつなぐなんて、日常ではなかなかできない。
むしろ、戸惑わせてしまうことだってある。
だからこそ、大事なのは「何をするか」ではなく、「どう向き合うか」なのかもしれない。
相手を知ってから関わるのではなく、
関わる中で、少しずつ知っていく。
その順番でもいい。
Flowerで話していると、「理解する前に、関わってみることが大事」という声がよく出る。
でも同時に、「関わりたいけど、どうしたらいいか分からない」という声もある。
その揺れこそが、今の社会のリアルなのだと思う。
だから、完璧にできなくていい。
ぎこちなくてもいい。
少し勇気を出してみること。
あのとき感じた、あの手の温かさのように。
信頼は、どこか遠くにあるものではなく、
ほんの小さな「触れ合い」から始まるのかもしれない。