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一号館一○一教室

ロジャー・コーマン監督『X線の眼を持つ男』

2026.05.19 01:20

汝の眼が罪を犯せば
えぐり出せ!


798時限目◎映画



堀間ロクなな


 わたしが10代だったころ、週末の午後には東京12チャンネル(現・テレビ東京)がキワモノめいた洋画を流していたものだ。ロジャー・コーマン監督の『X線の眼を持つ男』(1963年)もそんな一本で、いかにもB級ホラーの臭気芬々とするタイトルに惹かれて、主人公が透視能力によって女性の服の下を眺めたり、ラスベガスのカジノへ出かけてブラックジャックで大儲けしたりしながら破滅へと突き進んでいくありさまを胸躍らせて見守ったことを憶えている。



 ところが、最近、DVDでこの作品を見返したら、まるで印象が異なった。かつての自分の鑑賞はごく上っ面だけで、その根底に込められた主題を見落としていたらしいことに気づいたのだ。



 一種のマッド・サイエンティストだろう、医科大学のジェームズ・ザビエル博士(レイ・ミランド)は視覚を革新的に拡張する研究に取り組んでいた。というのも、人間の視神経が受容できるのは光の波長の10%以下にすぎず、つまりは事実上盲目に近い状態で、この限界を乗り越えて初めて宇宙と出会うことができるからだとの論理にもとづく。そのために開発したホルモンと酵素の化合物の点眼薬をみずからに用いると、かれはたちまち透視能力を手に入れて、人々の衣服が透けて見えるだけでなく、心臓疾患で入院中の少女の体内を観察して外科手術もみごとに成功させた。かくて、さらに実験を繰り返して、視覚の未知の領域へと分け入って……。



 こうしたザビエル博士の行動は一体、何を意味しているのか? 発生学者・三木茂夫は著書『ヒトのからだ ――生物史的考察』(原著1968年)で、生物は進化のプロセスにおいて触覚・味覚といった原始的な近接感覚のうえに、嗅覚・聴覚・視覚といった遠隔感覚が重なっていくとして、つぎのように論じる。



 一方、これらの遠隔感覚によってひきおこされる運動は、目標に対する原始的な向背運動の上に、しだいに数多くの表現運動が加わり、これによって、動物の表情がしだいに豊かになってくる。この場合、近接感覚と向背運動との間に、また遠隔感覚、特に目の発達と表現運動との間に、それぞれある密接な連関があり、このことは、動物分化のひとつの指標を提供するものではないかと考えられる。

 触覚が優位をしめる下等動物と、視覚が優位をしめる高等動物とを比較した場合、そこには、両者の世界におのずからある大きなへだたりが見られるのであって、このことのなかに、われわれ人間の独自の世界を解明するひとつの鍵が秘められているのではないかと思われる。



 この記述にしたがうなら、ザビエル博士の常軌を逸した行動はまさしく人間固有の世界の扉を開くものと見なせるのだろう。



 しかし、事態は思いもかけない方向に展開していく。ザビエル博士は視覚の拡張が実現するにつれ、目を閉じても光が瞼を素通りして脳を刺激するせいで、徐々に精神の乱調をきたす。その異変を察した大学の同僚が実験の中断を促したところ誤って殺してしまい、かれは逃亡者の身の上に……。やむなくサーカスの見世物小屋やホテルのカジノで透視能力を使って食いつないだのも束の間、視覚はとめどない暴走を続け、警察の捜索を背にして荒野をさまよい歩くことしかできなかった。そのあげく、キリスト教の伝道集会に辿りつき、神への賛美が唱えられるまっただなかで、年老いた牧師とのあいだにつぎのような対話が交わされる。



 「お前は罪人か? ここに救いを求めに来たのか?」

 「救いを? 違う。私が見えるものを伝えに来たのだ。大きな闇が広がっている、時空を超えて。その闇の向こうは輝き、まばゆい光がある。そして、宇宙の中心には――すべてを見つめる目があるのだ!」

 「罪と悪魔を見たのだな。しかし、主は何をすべきか告げておられる。マタイの書、第五章。『汝の眼が罪を犯せばえぐり出せ』。えぐり出せ! えぐり出せ! えぐり出せ!」



 ことほどさように、人間固有の世界を解き明かそうと突きつめていった闇と光の先には罪が待ち構えていた。ザビエル博士はついにみずからの手で両眼をえぐり出して結末を迎えるのだ。その衝撃のラストシーンは、21世紀の今日、ミクロの量子力学の領域からマクロの宇宙の最果てまでをことごとく視野に収めようとしている人類への恐るべき警告なのかもしれない。わたしは半世紀ぶりに『X線の眼を持つ男』を見返して、あらためて戦慄に囚われたのである。