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人生の後半を、ちゃんと旅している人たちと「良い旅を!」

2026.05.23 22:00

東北の旅が終わった。

80歳の母と参加した、3泊4日のツアーだった。


中尊寺。金色堂。宮沢賢治。松島。瑞巌寺。会津。鶴ヶ城。白虎隊。

歴史と祈りのあいだを歩き、温泉に入り、星を見上げ、毎日、驚くほどよく食べた。


帰りの電車に乗ったとき、旅の余韻と一緒に、少し震えるような感覚がやってきた。

旅が終わる。

そして、日常に戻る。

私の場合、その日常には、来月で独立20周年を迎える自分の仕事がある。


シニアたちの旅を、10年近く見てきた

私は、母の旅行について行くことを、もう10年近く続けている。

参加者の多くは、シニアのご夫婦や友人同士の方々。一人参加の方もいる。

私はたいてい、最年少に近い。

最初の頃は、少し不思議な場所に来たような気がしていた。

けれど、何度も一緒に旅をしているうちに、私はその人たちの姿から、人生後半の時間の使い方を見ているのだと思うようになった。


旅に出る。よく食べる。温泉に入る。写真を撮る。知らない土地の話を聞く。次はどこへ行きたいかを話す。

人生の後半を、ただ守るだけではなく、ちゃんと使っている人たちがいる。

それを私は、母の隣で見てきた。


お金を、人生に戻していく人たち

旅先で出会うシニアの方々を見ていると、お金の使い方について考えることがある。

もちろん、人それぞれ事情は違う。

けれど、少なくとも私が見てきた方々の中には、お金をただ残すためだけに持っているのではなく、自分の時間や経験に戻している人たちがいた。

行きたい場所へ行く。食べたいものを食べる。家族や友人と時間を過ごす。自分の足で歩けるうちに、景色を見る。

それは、とても現実的で、とても健やかな使い方に見えた。


お金があることと、お金を人生に変えられることは、きっと違う。

時間があることと、時間を楽しめることも違う。

その違いを、私はこの10年ほど、旅の中で見てきたのかもしれない。


スイスの話が合った

帰りの電車で一緒になったご夫婦が、スイス旅行の話をしていた。

コロナ前は、まだ海外旅行も今よりずっと行きやすかった。スイスも、今ほど高くなかった。

そんな話になった。


「私も、母とスイスに行ったことがあるんです」

そう言うと、話がすっと合った。

マッターホルン。モンブラン。氷河特急。

行った場所や見た景色の名前が重なると、年齢も立場も少しほどける。


私はいつも、母の旅についてきた最年少の参加者のような顔をしている。

けれどその瞬間だけは、同じ景色を見たことのある人として、そこにいた。


旅の話は不思議だ。

ふだんの生活も、年齢も、背景も違うのに、同じ場所を見たことがあるだけで、言葉が通じることがある。


その人たちは、ただお金を使っているのではない。

思い出せる景色を、ちゃんと自分の中に持っている。


スイスの山。東北の山。会津の夕陽。

人生の中に、いくつもの景色を持っている人たち。

その豊かさを、私はまた少し見た気がした。


別れ際、ご主人が言った。

「良い旅を!」

もう今回の旅は終わるところだった。


それでもその言葉は、なぜかぴったりだった。

これからも続いていく、それぞれの旅に向けて言われたような気がした。


私も、

「良い旅を!」

と返した。


母と私は、フィフティーフィフティーに見えたらしい

旅の途中で、あるご夫婦から面白いことを言われた。

「実は、賭けをしていたんですよ」

ご主人が、少し笑いながら言った。


私と母が、親子なのかどうか。

奥さんは、「親子でしょう」と言っていたらしい。

一方で、ご主人は、「親子じゃないかもしれない」と思ったという。


たしかに、普通は「娘さんですか?」「親子ですか?」と聞かれることのほうが多い。

けれど、そのご夫婦には少し迷いがあったらしい。


理由を聞くと、ご主人がこう言った。

「普通、親子だと、娘さんがお母さんの上に立って、いろいろ言う感じになるでしょう。でも、お二人はフィフティーフィフティーに見えるんですよね」

それを聞いて、少し驚いた。

でも、たしかにそうかもしれないと思った。


私は母を、管理する対象として見ていない。

もちろん、年齢的に気をつけることはある。

歩く速さ。段差。疲れ具合。荷物。食事の量。

そういうものは見る。


けれど、母が何を見たいのか。何を食べたいのか。何を面白がっているのか。何に驚いているのか。

そこは、できるだけ母自身の感覚を尊重したいと思っている。


もし妹が母と旅をしたら、もう少し母をリードするかもしれない。

それはそれで、ひとつの親子の形だと思う。


でも私は、たぶん少し違う。

母の隣にいる。母の話を聞く。母のペースを感じる。

必要なときは手を貸すけれど、先回りして母の時間を奪わない。

それが周りの人にも、フィフティーフィフティーに見えていたのなら、少しうれしい。


母は、私の保護対象ではない。

旅の相棒だった。


母が持っていたもの

今回の旅でも、母はよく食べ、よく歩き、よく感想を言っていた。

松島に行きたいと言い、会津のホテルのブッフェを見て、

「ここはすごいわね」

と言った。


朝食では、小ぶりなおにぎりを三つ取っていた。

80歳である。

私は隣で、少し笑いながら、少し感心していた。

母が持っているのは、旅に行くためのお金だけではない。

行きたい場所があること。その場所へ行く体力があること。食べる力があること。楽しむ力があること。「これはいいわね」と受け取る感性があること。

それらもまた、人生の財産なのだと思った。


そして私は、その横にいながら、自分が何を受け継いでいるのかを考えていた。


祈りの形が変わっていた

そういえば今年、私はあまり神社へ行かなくなった。

以前は、よく神社へ行っていた。

流れを変えたい。運を整えたい。導かれたい。

そんな気持ちも、どこかにあったのだと思う。


けれど今回の旅では、神社ではなく、別の形で「祈り」に触れていた。

中尊寺。金色堂。瑞巌寺。鶴ヶ城。白虎隊。ブッダのおしえ。宮沢賢治。松島の海。会津の山。露天風呂から見上げた星。


神社に行かなくなったから、何かを失ったわけではない。

むしろ、祈りの形が少し変わったのかもしれない。


お願いすることから、受け取ることへ。

導かれたいと願うことから、目の前にある土地や歴史や人の時間を、静かに受け取ることへ。

今回の旅は、何かを変えてもらう旅ではなかった。

すでにそこにあるものを、少しずつ受け取る旅だった。


仕事の意味を、もう一度見つめる

旅が終わるころ、私は少し不安になっていた。

帰ったら、日常が戻ってくる。仕事が戻ってくる。来月には、独立20周年を迎える。


20年。

長いようで、あっという間だった。


ライフコーチとして独立し、人の話を聴き、問いを立て、ブログを書き、言葉にし、セッションをし、コンテンツを作ってきた。


そして今、AI時代になった。

人が自分のことを考える方法も、仕事を作る方法も、言葉にする方法も、大きく変わろうとしている。

その中で、私の仕事はどこへ向かうのか。

その問いが、旅の終わりに戻ってきた。


でも、今回の旅を通して、少し見えてきたことがある。

私がこれから扱っていきたいのは、若い人の夢や独立だけではない。

働く人の迷いだけでもない。AIの使い方だけでもない。


人生の後半を生きる人たち。親世代。長い経験を持っている人。時間やお金や体力の使い方を考えている人。でも、自分の経験を言葉にする場がない人。

そういう人たちの時間にも、対話は必要なのではないかと思った。


対話は、未来のためだけにあるのではない

対話は、未来を変えるためだけのものではない。

これまで歩いてきた時間を受け取るためにもある。


自分が何を大切にしてきたのか。何を楽しんできたのか。何を手放し、何を残したいのか。これからの時間を、どう使いたいのか。

そういう問いを、急がずに見つめるためにも、対話はある。


人は、最後まで自分の人生を生きている。

年齢を重ねたからといって、その人の中の問いがなくなるわけではない。

むしろ、時間が限られているからこそ、大切になる問いがある。


どう過ごしたいか。誰といたいか。何を見たいか。何を味わいたいか。何を、誰かに渡したいか。

そこに寄り添うことも、ライフコーチの仕事なのだと思う。


人の時間を、雑に扱わない

今回の旅で、何度も思った。

人の時間を、雑に扱いたくない。


母の時間。シニアの方々の時間。旅先で積み重なってきた土地の時間。歴史の中で消えていった人たちの時間。そして、私自身の20年。


時間は、ただ過ぎていくものではない。

受け取り方によって、意味を持ちはじめる。

言葉にすることで、次の形になることがある。


自己探求を、対話から形へ。

今回の旅を経て、その言葉の中に、もう少し大きな時間が入ってきた気がしている。


自己探求だけではなく、人生の時間そのもの。

人が歩いてきた時間を受け取り、いまの問いを言葉にし、これからの選択を、自分のものとして扱う。

そのための対話を、これからも続けていきたい。


旅が終わって、現実が戻ってきた

旅が終わって、現実が戻ってきた。

でも、戻ってきた現実は、出発前と同じではなかった。


私は、母の元気さと、シニアの方々の旅する力と、東北の土地の記憶と、自分のこれからの仕事を、同じ車両の中で見ていた。


独立20周年を前に、私はまた、自分の仕事の意味を問い直している。

人が、自分の人生を最後まで自分のものとして扱えるように。


そのために、私はこれからも、対話を使っていきたい。

母と歩き、AIに問い、土地の記憶を少しずつ受け取った旅。


東北は深かった。

そして私は、まだ自分の仕事の続きを書いていくのだと思う。