独立21年目を前に、空から届いた祝砲
一回目の「ドーン」は、スルーしました。
夜に大きな音がすることは、たまにあります。
雷かな。
私はそのままにしていました。
けれど、しばらくして二回目の「ドーン」が鳴りました。
雷にしては少し音が違う。
低く響くような、でも空が割れるような音ではなく、どこか人工的な、リズムのある音。
「あれ?」
と思って、ベランダに出ました。
すると、花火でした。
目の前の夜景の向こうに、花火が上がっていました。
雷かと思ってベランダに出たら、花火だった。
なんだか、それだけで少し物語の始まりのようでした。
この時期の花火
そういえば、去年もこの時期に花火があった気がします。
5月の終わりごろ。
6月に入る直前。
私にとって6月は、独立した月です。
2006年6月に独立して、今年で20周年。
そして6月からは、独立21年目に入ります。
だから、この時期に花火が上がると、どうしても勝手に意味を感じてしまいます。
もちろん、花火は私のために上がっているわけではありません。
そんなことは分かっています。
でも、人生には、偶然の景色が妙に自分の節目と重なることがあります。
ちょうど何かを終えようとしているとき。
ちょうど次の方向が見え始めたとき。
ちょうど不安と期待が入り混じっているとき。
そのタイミングで、空に大きな光が上がる。
そうすると、人は勝手に思ってしまうのです。
ああ、祝福されているみたいだ、と。
今年の花火は、少し違って見えた
せっかくなので、ジムはお風呂だけにすることに決めて、
しばらくベランダから花火を見ていました。
今年の花火は、なんだか違って見えました。
花火自体が進化しているのかもしれません。
ひとつひとつの光の点が、まるで星のように見える花火がありました。
ただ大きく開いて散るだけではなく、空の中に細かな光が残るような、星座のような見え方。
一気に打ち上がる花火の量も、以前より増えているように感じました。
連続して、重なり合うように、光が空に広がっていく。
そして、色の出方も美しかったです。
単色でぱっと開くというより、グラデーションのように流れていく花火。
空の中で、色がほどけていくように見えました。
私はベランダに立ったまま、
「花火って、こんなに進化するんだ」
と思っていました。
ただの夏の風物詩ではなく、ひとつの表現として進化している。
光の出し方。
音の間。
色の流れ。
空間の使い方。
花火にも、表現のアップデートがあるのだと改めて感じました。
AIも進化している。
花火も進化している。
ぼんやりしているわけにはいかないようです。
5月は、さなぎの中にいたようだった
今年の5月は、とても不思議な月でした。
山に登りました。
東北へ旅に行きました。
80歳の母と温泉に入り、歴史ある土地を巡りました。
帰ってきてから、仕事の方向性が一気につながっていきました。
AI時代のライフコーチ。
ライフコーチ2.0。
人との対話。
AIとの対話。
親子関係。
家族との距離感。
人生後半の時間の使い方。
身体の反応から自己理解を深めること。
Prompt Dojo 2.0。
1D1U LAND。
別々に見えていたものが、5月のあいだに一気につながっていきました。
そのスピードは、自分でも驚くほどでした。
頭で考えて整理したというより、もっと身体ごと変わっていくような感覚でした。
まるで、さなぎの中にいる虫のように。
外から見ると、何も起きていないように見える。
でも中では、ものすごい勢いで形が変わっている。
ただし、さなぎ本人はたぶん大変です。
「今、私は何になっているんですか」
と聞きたいはずです。
いろいろなことが動いている。
でも、まだ完全には外に出ていない。
何かが変わりつつある。
でも、まだ言葉になりきっていない。
そんな中で、AIと対話し、記事を書き、講座を組み立て、導線を見直し、旅の意味を言葉にしていきました。
花火の夜、少し抜けた感じがあった
花火を見た夜、私はどこか少し抜けたような感覚がありました。
それまで身体の中にあった力みが、少しほどけたような感じ。
自分がこれから何を提供していくのか。
そして、20年やってきたライフコーチという仕事の意味。
独立20周年を前にして、私はどこかで問い直していたのだと思います。
この先、自分は何をしていくのか。
AI時代に、ライフコーチとして何ができるのか。
人とAI、それぞれの力を使って、どう社会に貢献できるのか。
その問いが、5月の中でかなり深く動いていました。
そして花火の夜には、その問いのいくつかが、少し形になっていた気がします。
完全な答えではありません。
でも、次に進む方向が見えた。
だから、花火がただの花火ではなく、節目の合図のように見えたのかもしれません。
祝福は、たいてい突然やってくる
おもしろいことに、祝福のようなものは、たいてい突然やってきます。
一回目の音は、うっかりスルーする。
二回目でようやく気づく。
あれ、これは雷じゃないかもしれない。
そう思ってベランダに出ると、空に花火が上がっている。
人生の節目も、きっとそういうものなのかもしれません。
最初は気づかない。
ただの違和感だと思う。
ただの不安だと思う。
ただの疲れだと思う。
ただの偶然だと思う。
でも、何度か同じようなサインが来る。
そして、ふと外に出てみる。
すると、そこに花火が上がっている。
もちろん、花火そのものが何かを決めてくれるわけではありません。
でも、それをどう受け取るかは、自分で選べます。
私は今回の花火を、独立21年目に向かう自分への祝砲のように受け取りました。
図々しいでしょうか。
でも、いいのです。
誰にも迷惑をかけていない祝福の受け取り方くらい、自由でいいと思います。
独立21年目へ
6月から、独立21年目に入ります。
20年という時間は、長かったようで、あっという間でもありました。
ライフコーチとして独立し、人の話を聴き、問いを立て、文章を書き、セッションをし、講座をつくり、何度も自分の仕事を見直してきました。
そして今、AI時代になりました。
人が自分のことを考える方法も、言葉にする方法も、仕事をつくる方法も、変わり始めています。
その中で、私はこれからも「対話」を扱っていくのだと思います。
人との対話。
AIとの対話。
身体との対話。
家族との対話。
土地や時間との対話。
そして、まだ言葉になっていないものを見つめるための対話。
次の周期に入っていく。
そんなタイミングで、空が少し派手に合図をくれたのだと思います。
P.S. 東北の旅から帰ってきて、数日が経ちました。
80歳の母と参加した3泊4日のツアー。歴史ある土地を巡り、郷土料理を食べ、朝も夜も温泉に入りました。旅のあいだ、母と話し、AIに聞き、土地の歴史を調べながら歩いているうちに、自分の仕事の源泉のようなものに触れた気がしました。