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Art of Being -AI時代のライフコーチ|対話から、形へ

身体は過去を生きている──面倒くささの本当の理由

2026.05.30 22:00

〜身体の反応を読むと、見えてくるもの〜


「やりたいんだけど、面倒くさいんです」

セッションで、よく出てくる言葉です。


でも話を聞いていると、本当にやりたくないわけではないのです。

興味はある。

やった方が豊かになることも分かっている。

本当は、表現したい気持ちもある。


それでも、いざやろうとすると気が重くなる。

面倒くさくなる。

手が止まる。


昔の私なら、そこでこう考えていたと思います。

「どうすれば面倒くさくなくなるだろう?」

「もっと簡単な方法はないかな?」

「続けやすい仕組みにすればいいのでは?」

つまり、面倒くささを“解決すべき問題”として見ていました。


でも最近は、少し見方が変わりました。

面倒くさいという反応が出た時、

私はまず、その反応を消そうとしません。


代わりに、こう見ます。

身体は何を覚えているんだろう?


先日のセッションでも、ある方がこんな話をしてくれました。


好きなことを続けている。

感動もする。

本当は、その感想を書きたい。


でも、いざ発表しようとすると気が重くなる。

やりたいのに、面倒くさい。


話を聞いているうちに見えてきたのは、

「やりたくない」ではありませんでした。


むしろ奥にあったのは、

「また同じことになる気がする」

という感覚でした。


どうせ見てもらえない。

どうせ続かない。

どうせ反応はない。

本人がはっきりそう言ったわけではありません。


でも身体は、過去の感覚を覚えています。


新しいことを始めようとしているつもりでも、

身体は過去の記憶をもとに反応することがあります。

だから、面倒くさくなる。


それは怠けではなく、

身体が「また同じ道に行くの?」と教えてくれているサインなのかもしれません。


面倒くささの正体は、

エネルギー不足ではなく、

過去の繰り返しかもしれない。


もし同じ映画を100回見ろと言われたら、

どんな名作でも面倒になります。


同じやり方。

同じ期待。

同じ失望。

同じ結末。

身体がそれを先に知っているから、重くなる。


逆に、本当に新しいことには、

怖さや緊張はあっても、どこかに好奇心があります。


「どうなるんだろう」

「試してみたい」

「少し見てみたい」

そこには、未来への余白があります。


だからもし今、

やりたいのに面倒くさいことがあるなら、

こう問いかけてみてください。


私は本当に新しいことをしようとしているだろうか?

それとも、

過去と同じやり方を、もう一度繰り返そうとしているだろうか?


面倒くさいのは、やる気がないからではないかもしれません。

身体が、

「その道はもう十分歩いたよ」

と教えてくれているのかもしれません。


身体の反応は、直すものではなく、読むもの。


面倒くささの奥には、

まだ見えていない新しい道があるのかもしれません。