2026.6.3 RMの論文がAngew. Chem., Int. Ed.に掲載されました
“A Crystalline and Thermally Stable Selenocysteine Selenenic Acid"
Ryosuke Masuda, Satoru Kuwano, Kei Goto*
Angew. Chem., Int. Ed. 2026, e5726030.
研究の背景とセレノシステインの謎
セレンはヒトの微量必須元素である。その所以は必須アミノ酸20種類に加えて知られる「21番目のアミノ酸: セレノシステイン (Sec)」の作用にある。Sec含有タンパク質として最重要に位置付けられるのがグルタチオンペルオキシダーゼ (GPx) であり、その活性中心にSecを有する。生体が呼吸すれば酸素が取り込まれるが、その一部が一定の割合で過酸化水素となるのだが、これらは細胞や遺伝子に顕著なダメージを与え、ガンや1型糖尿病を引き起こす遠因として知られる。我々哺乳類には、これらを自身で処理する抗酸化作用が備わっており、GPxはその根幹を担う。
具体的には、活性中心のSec–SeH (セレノール型) が過酸化水素により酸化されることで、セレノシステインセレネン酸 (Sec–SeOH) 型となり、これが体内のチオールで還元されることでGPxの触媒サイクルが回っている。しかしながら、このSec–SeOHには長らく大きなミステリーがあった。過酸化物の除去を担うはずのSecが、酸化条件にとても弱く、しばしばSec–SeOHを経由した脱セレンによる酵素失活を引き起こすのである。これは大きな矛盾であり、「哺乳類はなぜ硫黄ではなく、こんなにも不安定なSecを選んで進化したのか?」という疑問は未解決のままであった。この謎を紐解くには、鍵となるSec–SeOHを手に取り、その性質を調べる必要がある。しかしながら、Sec–SeOHはあまりにも不安定であり、"phantom intermediates"や"notoriously unstable"と表現されてきたのである。
我々は以前、巨大な有機置換基を有するモデル化合物を用いることで、低温NMRによるSec–SeOHの観測に初めて成功している (J. Am. Chem. Soc. 2021, 143, 6345–6350.)。このSec–SeOHは従前の予想通り熱的に不安定であり、室温近くへの昇温により容易にデヒドロアラニンへと変換された。すなわち、我々でさえも、Sec–SeOHは熱的に不安定な化学種であり、その脱セレンは生理条件下で速やかに進行すると思い込んでいたのである。
本研究では、実際の酵素 (DIO) のアミノ酸配列を参考にしたペプチドモデルを出発物とし、ほかの活性種であるセレノシステインヨウ化セレネニル (Sec–SeI) の加水分解という生体模倣反応を用いることにより、Sec–SeOHを合成した。驚くべきことに、本手法により合成したセレノシステインセレネン酸 (Sec–SeOH) は単離可能であり、室温はおろか重ベンゼン中70 ℃でも全く分解しない、高い熱的安定性を示した。これはセレンタンパク質の活性維持と失活の中で議論されてきたSec–SeOHの性質に関する常識を、根底から覆す結果である。
タンパク質中にセレンが含まれていることが発見されて50年経過した。本研究はその鍵となる中間体の初めての単離および結晶学的同定を達成するとともに、Sec–SeOHは本質的に熱的安定性を有し、直接的な脱セレンが遅いことを示した。
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〜遂に難攻不落の単離を達成!!Sec–SeOHの結晶学的同定〜
後藤研のセミファイナルとなる仕事がようやく日の目を見ました。現象の発見、合成、反応性、計算、X線そして論文執筆。全て一貫して担当し切った渾身の一作です。3年前のSe-ニトロソセレノシステイン (JACS 2023)と同様、著者はRMとStaffのみ。内容についての詳細は論文をご覧ください (Open Accessです)。後藤先生の最初の芳香族置換セレネン酸の単離が1997年のAngewandte Chemieですから、実に30年近くの時を経て、ようやくセレノシステイン誘導体が単離されたことになります (しかも同じACIE!)。本論文は本当にさまざまな苦労、思い出、悔しさ、全てが凝縮された一報なのです。折角なので、ここまでに至るストーリーを記録として残しておきます。
単離可能なSec–SeOHの発見
2022年1月年初、博士論文の公聴会を迎えました。Sec–SeOH (この時は当然まだ観測のみ)とSec–SeNOという2大合成困難化合物のほかに、環状セレネニルアミドという空気安定な化合物に関するトピックで発表しました。前者2つはもちろんそれなりの評価を頂いたのですが、環状セレネニルアミドに関する発表は「これまでの研究は提唱過程をなぞることに意味を持つ。一方これは、有機化学から生化学への問題提起である」というタイプの内容であったためか、とても好意的に捉えて頂きました。指導教員の後藤先生も当然筆に磨きがかかり、お互いとても納得した良い原稿が出来上がったわけです。いざ学術誌へ投稿といった趣...そこでたまたま、博士審査もひと段落したことだし、タンパク質の結晶構造を眺めていました。
すると私は、とんでもないことに気づきました。環状セレネニルアミドに関する仮説のモデルとしていた酵素 (DIO) の隣接位には、必須20種類のうち唯一ある特徴を持つプロリンが鎮座していたのです。「これでは仮説が全く成立しなくなるぞ!」...焦って魚、羊、それこそ特殊な哺乳類に至るまで、ありったけのDIOのアイソザイムのアミノ酸配列を漁りましたが、どれもProが隣接していました。調査結果をまとめ、後藤先生の部屋のドアをノックしました。もちろん先生はあーあ...と絶望。私も先生も、小一時間立ち直れない時間を過ごしました。ちょうどこの年は、なんとListとMacMillanがプロリン触媒でノーベル賞を獲得した年だったのです。プロリンに笑う者あれば、プロリンに泣く者あり。随分とどうするか悩みました。
そこで出した結論は「合成するしかない (脳筋)。」
本審査まで1ヶ月、とにかく実験しまくってProが隣接したcradled selenopeptideを色々と合成しました。幸いにもペプチドはスムーズに組み上がったのですが、Proは回転異性体が多く大変でした。cradleに内包するとその挙動が止まることから、最終的には分析容易な系へと辿り着けました。しかし、その反応性を調べても斬新な知見はなかなか溜まりませんでした。私の中ではありふれた反応のみ。そのような中で一つ思い出したのが、DIOの活性中心では、Sec–SeIからSec–SeOHへの加水分解が進行するのではないか?というSchweizerとSteegbornのPNAS 2014。実際に、研究室でもいくつかの系で進行することがわかっていましたし、正直楽勝で低温NMRにおけるSec–SeOHが観測できました。この後に発見が待っていました。
低温でしか生きられない (と錯覚していた) Sec–SeOHの77Se NMRスペクトルは、当然重THF中で低温測定する必要があります。東工大のNMRのデュワーの限界から、6時間の積算が限界でした。正直もうD3の春で疲労し切っていた私は、13反応以上かけて合成したサンプルを一挙に投入したものの、眠くて帰ってしまいました。翌朝、スペクトルに問題がないのを確認し、室温に戻されたサンプルに念のため捕捉剤であるチオールを加えておきました。(正直状況が分かりにくいと思うのですが、室温になった時点で脱セレンするはずなので、捕捉剤を入れるだけムダな行為です。)
流石にD3にもなれば、一応lazyさは抜けてきます。粗生成物を確認すると...写っていたのは、非常に綺麗に捕捉されたセレネニルスルフィド体でした。つまり、室温になっていて分解したはずのSec–SeOHが、溶液中で綺麗に分解しないまま生き残っていた可能性に気づきました。その後紆余曲折は経たのですが、低温で反応を行ったまま、低温でクエンチしアルゴン下で分液し再結晶をしてみると...そこに現れたのは、後藤研究室に配属になった時から望んでいて、ずっと手に届かなかったはずの、熱的不安定性との戦いに青春を捧げたSec–SeOHの、綺麗な1H NMRスペクトルだったのです。なんだお前、単離可能だったんかいな。この事実を知らされた後藤先生のリアクションは...ご想像にお任せします。研究は本当に面白い。
その後反応性などの実験は割と最短距離でまとまリました。なお環状セレネニルアミドは別論文としてきちっと出版済みです。
論文が受理されるまで
D3の卒業時までにとにかくやれることを詰め込んだわけですが、やはり初めてセレンが生体にあると同定されて50年近く単離されていなかった鍵中間体を、この手にbottleableな固体として取ることができたのは重大な発見でした。当然「上から」出すことにになり、原稿作りやFigureにはとても多くの時間を費やしました。目標だった論文誌のお気に入りの論文を片っ端から読み漁り、英語表現を借り、考察を練り、磨いた原稿を添削して頂きました。某年、満を持して投稿。しかし結果は残念でした。その後いくつかの論文誌を周り、苦しみ、打ちひしがれながら、なんとか今回の結果に辿り着くことができました。この過程で、現在一緒に研究を進めている学生さんに、rejectされる度よく激励して頂きました。本当にありがとう。
最終的な査読結果はとてもよく、興奮気味の議論が交わされました。論文のクオリティも向上しましたし、流行りを全く追わない本研究の重要性に、とても強い推薦を頂き今後の活力に繋がりました。博士課程卒業からもう4年以上が経過してしまいましたが、本論文は思い出の一報に他なりません。査読者コメントの一部から引用して締めたいと思います。
"Nothing I mentioned above is absolutely required for publication. I just raise these issues because I wanted to bring these points to the author's attention. This is an outstanding paper. It is very important for this field and I hope it is published."
査読者がどなかたは全く想像がつかなかったですが、化学者としてこの一言がもらえたのは、忘れえぬ記憶になることかと思います。
2026.6. RM