3月7日 鹿児島市街[城山公園・天文館](23km)
昨晩、城山公園の森の何処かで、若者が一人、大声量で何かを歌っていた。
キャンピングカーの窓をそっと開けてみても、暗闇の先には何も見えない。
ただ叫び声にも似た歌声だけが、しんと静まり返った闇の中に こだまする。
ふと見上げると、空には満月が薄っすらと光っていたー。
なんてことはなく、今は新月なのであった。
朝、昨晩の見事な夜景とは打って変わって、眼下には微かに靄が立ち込めている。
周囲は城山散策に訪れた人々で、すでに賑わい始めていた。
城山の展望台に出て鹿児島市街を望む。
やはり、靄がかかっているようで遠景は見えず、桜島も輪郭がぼんやりと望めるだけである。
近くで観光客が、「やっぱりPM2.5は凄いね〜」と語り合っている。
桜島の噴煙か、はたまた、よその国から飛んで来たPM2.5なのか、定かではないが。
そういえば、Kの父親は鹿児島出身で喘息持ちであった。
叔母は、鹿児島市内在住の喘息持ちで、最終的に喘息の発作で亡くなっている。
Kは小児喘息を患い、風邪をこじらせると、未だに呼吸が出来なってしまう。
鹿児島人たちは、毎日、この噴煙の風向きを見ながら、子供を外で遊ばせたり、洗濯物を外に干すかどうかを判断したり、洗車をしたり、商品の陳列方法を考えたりしなければならない。
おまけに、背後にそびえる霧島まで噴火したというので、油断が出来ない。
温泉も多く、風光明媚であることと引き換え条件であるかのように、危険が伴う。
原発の影響を除けば、平穏無事な生活が送れる茨城や千葉とは違い、波乱の日々である。
城山自体は100mほどの小さな山(丘)なので、西郷さんや島津の歴史に馴染みのある我々日本人はともかく、外国人観光客にとって、どれほどの興味をそそるのかは、正直よく分からない。
欧米人の観光客が多いので駐車場の大型バスに目をやると、某クルーズ船の観光客だった。
城山公園駐車場をあとにし、登ってきた道を反対方向に進み、坂道を下り切ろうかという辺りに、西郷隆盛たちが西南戦争の最後の5日間、立て篭もった「西郷隆盛洞窟」がある。
洞窟といっても、戦争でほとんど崩れてしまい、入り口部分が残る洞窟が2つ並んでいるのみ。
洞窟の数100m先には、「西郷隆盛終焉の地」の碑が立っている。
ここでは駐車できなかったので、写真を撮って、すぐに立ち去る。
続いて、近くにある繁華街「天文館」散策へ。
途中、チンチン電車が目の前を通り過ぎる。
ここは浅草の新仲見世通りを彷彿とさせるアーケード街。
「子供の頃に立ち寄った時は、やたらと薩摩揚げ屋さんが軒を連ねていたような気がする」とK。
しかし、今、我々が立っているその場所は、ファッションや雑貨といった、どこにでもあるような地元向けの若者中心の街へと変貌を遂げていた。
ここに、天文所を作ったお侍さんもビックリすることであろう。