感覚を言葉にする、22年。
角野隼斗さんの記事が、思いがけず多くの方に読まれた。
noteとブログを合わせると、Xでの表示は約9,000回。もちろん嬉しかった。でも不思議なことに、私の興味は数字そのものには向かなかった。
気になったのは、コメントだった。
「そんな見方があったとは」
「言語化ありがとうございました」
「もっとそうやって聴けばよかった」
特に、音楽のジャンルを書くと、そう言われることが増えてきた。
ChatGPTがこの記事のために描いたDufy風
そういえば、昔も似たようなことを言われていた。
2004年。おしゃれが苦手なのに、アパレルの店長をしていた私は、お店のブログを書いていた。誰も店長がブログなんて書いていない時代に。そのブログがいつのまにか人気ブログランキングのファッション部門で1位になって、常連のお客さんにこう言われた。
「店長のブログって、感覚を言葉にするのが上手だよね」
その言葉は嬉しかった。少し自負もしていたと思う。
でも独立してから、そうでもない自分を発見してしまった。深く掘り下げるのが苦手だと気づいてからは、「感性を磨く」修行の道だった。
音楽も美術も、言葉にするのが難しいジャンルだ。知識を入れれば入るかといえば、そうでもない。でも知識がなければ、そもそも何も入ってこない。
でも知識だけでも、つまらない文章になる。もっと自分が感じたことを言葉にしたい。次第に、自分の中に「構造化」「文脈」というものの見方が育まれた。きっと、「人の話を聴く仕事」をしているからだと思う。
きっと私は、ただ感動を書いているのではないのだと思う。
感動の奥にある構造を見つけようとしている。
なぜ心が動いたのか。どこで空気が変わったのか。その人は何をしていたのか。なぜ、それがこちらの身体に届いたのか。
そういう見えない流れを、言葉にしようとしている。
だから読んでくださった方が、「そんな見方があったとは」と言ってくださるのかもしれない。
それは、私にとってとても嬉しいことだった。
なぜなら私は、情報を届けたいのではなく、体験の解像度を上げたいのだと思うから。
そうやって時間をかけて育ててきたものが、音楽の言葉になり、美術の言葉になり、そして昨日、読者の方々の言葉となって返ってきた。
22年前。
「感覚を言葉にするのが上手だよね」
と言われた。
そして昨日、初めて出会った方々から、
「そんな見方があったとは」
「言語化ありがとうございました」
という言葉をいただいた。
22年前に受け取った言葉と、
もしかしたら同じものだったのかもしれない。
ずっとやってきたことが、やっぱりそうだったと確かめられた日だった。
22光年かけて、ようやく届いた気分である。
単位は間違っているけれど。
追伸:そういえば、はじめて告知しますが、2010年からXやっています。3つのブログの更新情報を流しています。いちいち、ブログ開かなくていいので便利かと思います。https://x.com/horiguchihitomi