論考「探究は誰のものなのか?」
近年、高校教育における「探究活動」が、ひとつのブームになっています。
地域課題をテーマにし、地元企業と連携し、高校生が商品開発をして販売する。
新聞にも載る。コンテストにも出る。プレゼン資料も整う。
外から見ると、非常に「良い教育実践」に見えます。
しかし最近、私はこのスキームに対して、かなり懐疑的になっています。
その商品開発、本当に高校生が開発したと言ってよいのでしょうか。
協力企業がレールを敷き、高校生がアイデアを乗せる ―― そうしたケースが少なくないのではないか。
プロジェクトが終わったあと、地域には何が残るのか。
このマガジンは、こうした違和感を出発点に、現在の探究のあり方を構造として問い直す論考です。
ロジャー・ハートの「参画のはしご」、森井翔太氏の「やらされ探究」論、安斎勇樹氏の「軍事的世界観/冒険的世界観」論を理論的な物差しとして用いつつ、学校・生徒・企業・教育産業の四者を貫く構造を分析していきます。
そのうえで、対案として二つの実践を紹介します。学校の内側から評価の場の設計を組み替えた 岡山県立高梁城南高等学校の「失敗の日」。学校の外側に環境そのものを設計する 奉還町まるごとユースセンター構想とMIRAIPORT の試み。出発点も方法も異なるふたつのアプローチが、目指している地点は驚くほど近い ―― そのことを丁寧に描き出していきます。
このnoteは、『SDGs自治体白書2025』に寄稿した「奉還町まるごとユースセンター構想 ― ユースの居場所化を可能にした商店街 ―」の続編として書かれています。
前作が「ユースの居場所」を地域インフラとして捉え直す試みだったのに対し、本稿は「探究教育」という具体的な切り口から、同じ問題意識を別の角度で照らし返します。
教員、生徒、企業の担当者、自治体の職員、地域の大人、教育産業に関わる方々 ―― 立場はそれぞれ違っても、「いまの探究は、これでよいのだろうか」と感じている方々に向けて、書いてみました。