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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

オルレアンの少女28-ジャンヌ、パリ攻撃失敗

2019.03.15 09:26

ジャンヌはたまりかねている。コンピエーニュで、アランソン候に「いとしの候よ、パリを近くで見ておきたいのです」と言って、サンドニまで一緒に軍をすすめた。8月26日から、小競り合いを仕掛け、その間ジャンヌはパリの防備を見分した。仏王はしぶしぶサンリスまで兵をすすめ、アランソン候がその間を往復した。

9月8日、ジャンヌ、ジル・ド・レエ、ゴンクールらがパリ攻撃を開始、市内は、阿鼻叫喚に包まれ、市内でも「逃げろ」という声が響いた。守備兵は必死にありとあらゆる飛び道具をあびせかけ、昼ごろジャンヌは弩の矢があたって負傷した。仏王はサンドニまで兵をすすめたが、そこから一歩たりとも兵をすすめる気はなかった。これは歴史家もブーイングを浴びせている。

やはりパリの守備は堅く、この兵で1日では落ちない。ジャンヌが宿営に帰ると仏王から撤退命令が届いていた。ジャンヌ初めての敗北であり、交渉派の勝利であった。仏王は、彼の本拠への帰還に際して、せっかく集まった軍をそれぞれのところに解散させてしまった。そしてランスなどにもブルゴーニュが約束を違えれば「大軍を率いてくる」と空約束をした。

帰りの行軍は、パリからランス間を36日もかけるという大名行列であった。そして結局ブールジュに戻ってきてしまい、ジャンヌには3週間の休暇が与えられた。善男善女たちが、神の使いに祝福してもらおうと、ジャンヌのもとにわんさか訪れた。ジャンヌは笑って、宿泊している家の妻に「ご自分で触ってあげてくださいませ。私でも貴女でもいいことがおこりますよ」と言った。

下はルーブル前の黄金のジャンヌ・ダルク像。彼女はここからルーブル要塞に攻撃をした