6/14 「ルール」 三浦 遙牧師 聖句:使徒16:16-24
本日は子どもの日・花の日礼拝です。これは、子どもたちが神様の温かい守りの中で育まれていきますように、また、わたしたち一人ひとりが花のようにそこにあるだけで誰かを笑顔にできる存在として、主の恵みによって日々育まれていることを思い起こす日です。もともとは19世紀のアメリカで、子どもたちが花を持って礼拝に集まり、その花を病気の方やお年寄りの所へ届けに行く、という習慣に由来しています。子どもたち自身が「神様の愛を運ぶ人」となっていく日として、長く大切にされてきました。
今日の聖書では、占いの霊に取りつかれた女奴隷を解放したパウロとシラスが、金もうけの道を絶たれた主人たちに訴えられ、鞭で打たれた上に牢に入れられてしまいます。当時のフィリピの社会には二つの「ルール」が流れていました。一つはローマ社会のルール、もう一つは、苦しむ人をそのままにしてはおけないという神の掟です。パウロらは女奴隷を「金もうけの道具」として見ず、彼女自身の苦しみに目を向けて手を差し伸べました。社会のルールを軽んじていたわけではありません。けれども両者がぶつかる時には、迷わず神の掟に従う。その姿は、牢の中で歌い続ける賛美の声を通して、見張っていた看守を信仰へと導いていきました。神の掟に従うひとつの姿が、確かに一人の人の心に新しい風を運んでいったのです。
子どもはまだ社会のルールを多くは持たない、とても自由な存在です。わたしたち大人はその自由さをルールで縛りがちですが、そのルールがいつしか「神の掟」よりも大きくなり、子どもをも自分自身をも息苦しくしてしまうことはないでしょうか。神の掟は、わたしたちを縛るためではなく、花のように輝かせるためにあります。種が地に落ち、目には見えない根を張り、雨と日差しを受けてやがて花となるように、神様は一人ひとりのいのちを確かに育んでくださっています。握りしめたルールを少しだけ緩めて、神様の愛を運ぶ人として、それぞれの場所からそっと歩み出していきたいと願います。