滋養
2026.06.15 04:00
自分をなくして
何かと繋がることのリスクに気付く。
リスクなんていう言葉にするとなんか軽く感じるけど、その影響は決して軽くはない。
何かを介さずに、
自分がもっと自分であることでしか
全き自分であることでしか
触れられない叡智というものがあって、
それって安全だし安らかで何というか…愛に満ちとる。
言葉にすると、何か軽い。。。(;^ω^)
そんなんじゃご飯は食えないよ!!
なんていう自分の中の声もあるけどさ、
自分が一ミリだって排除されないということが持つエネルギーは、
自分への真の滋養で、
排除されることで得られると思っている滋養っぽいものとは
ケタ外れの違いがあるんよね。
ここから始まる「お茶碗一杯の白飯」の体験は、
なんつーか、自分の中に時空を超えて刻み込まれるような何かがある気がして。
「すっごい豪華なディナー」をいくら食べ続けたとしても、自分の中の体験に落とせないものなら、それはただの通り過ぎる絵でしかないし、
それを食べたと勘違いすることのリスクはきっとある。あった気がする。いや、あった。
最近は、この「茶碗一杯の白飯の体験」的なことに開眼しつつあり、
自分がそれをどれだけ求めているかを知りつつあるのと同時に、体験に開きつつあるのだ。