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儚いと知りながら

2026.06.14 15:26

なんだか寝るのが遅くなってきた。

おそらく明日のオランダ戦の時間に起きるのは難しいだろう。


バーンアウト寸前みたいなところで、

それでも毎日、臨床心理学について考えている。

なんで休日まで考えているんだろう。

考えざるを得ないのだろう。

こんなことを続ければ続けるほど世俗から離れていってしまうのではないかという恐れすらある。


社会の中の治療者という本を読んでいる。

そもそもなんのためにこの道に来たのだったか、ということを問われ、まんまと揺さぶられる。

最近は強迫的に本を買ってしまう。全部が大事に感じる。一つも取りこぼしてはいけないように思ってしまう。

そんなことないはずだけれど。そして、そんなことが出来ると思うのは烏滸がましいことだど分かっているけれど。

さっさと自分の専門領域を定めないといけない気もしてくる。

そんなことないはずだけれど。そして、何か一つに絞ったところで、患者のすべてが解るなどと思ってないけれど。


好き嫌いに左右されるのをやめたいとも思う。

でも直観で生きてきたし、これからも本質的には変えられないのだと思う。

それを自覚するだけでは、自分に成れるとは言えない。

自分が生きられてこなかった側面に目を背けずに生き直すこと。

いまがその時なのか分からないけど、それをやらないと次に進めないような気がしている。

はて、次に進むとは?なんのために、誰のために進む必要があるのか。

この場所で平穏に、変わらない暮らしを享受していればいいのに。


30代も折り返し地点。

この歳にしていくつかの夢を見ている。見ては消えていく。未来を描くという行為は自分にとっていつも儚いものだ。


論文にしてもブログにしても、果たして私は本当に誰かに届けばいいなと思って書いているんだろうか。第一義的には自分を満足させるためになっていないか。

社会とか外側の現実に対する怒り、反骨心。

それを打ち消すように私は書き続けていることが最近になってやっと分かってきた。

論文の場合は第三者に読まれることを意識するから疲れるし時間がかかる。

ブログはタイトルも決めずに書き始めて自由連想で語っているだけだから、

疲れたと思ったことがなく、むしろ気づいていなかったことを言葉にできたときは癒される。


自分の伝えたいことなんて本当は単純なのかもしれなくて。

でも抽象では伝わらないから具体に落としたり、既存の概念を引用しなければならない。

本当に面倒くさい。あぁなんて苦しく、そして楽しいと時たま感じてしまう仕事を選んでしったのか。

いまは悩むとか苦しむということについて研究しているけれど、

本当は私は可笑しいとか笑うとか、純粋な快楽が一番大事だと思っている。

可笑しいということは不可思議であるということであって、わからないということであって、

わけたくなるということであって、ツッコミたさが生まれるということである。

それはきっと心理療法における二者関係の中にも生まれるもので、

このことについていつか査読なんか気にせずに、納得のいく文章を書けたらと想像していた。


書くということは心を外に出すということであって、より深いものを書こうと思うなら知識と経験を取り入れる時間も必要なのだと思う。

知識は大切なんだけれど、詰め込むだけではつまらない。

本当は知識のマウントなんて無意味だと思っている。

でもそういう世界だからこそジョークが効くのだと思うから、

堅苦しい空気というのも存在意義があるのだろう。


臨床心理学は実学であって、いくら概念を知っていても、世間の人と雑談できなくなっては残念なことである。

私にとって雑談するということは、心理学の知識を使って議論するよりもよっぽど価値のある営みである。

浅さを保ってニュースを見聞きするだけでも十分社会と関わりながら生きていくことは可能なはずだ。

でも人生には探検しなければならない時がある。

行ってみなければ確認できない形の果実があるように思われるのである。

そもそも学問をやるとか専門職になるという時点で我々は既に外れ値なのだ。

でも明日も常識人のふりをして出勤せねばならない。

外れ値にいながらにして、しっかり真ん中の辺りに足をつけて生きねばならない。

そのことにたまに窮屈さを感じて、本当の自分とは何かという問いが再開する。


問い続けたところで本当の自分なんていなかったというオチもあり得る。

それはそれで有りなのかもしれない。

でも問うことをやめられない。ある種の中毒であるが、

この仕事においてそれをすることの意味を十分に受け取ってきたし、

やっぱり誰かに伝えたくて続けているのだろう。


なんのために進んでいるのか。

今回このように書いても大きな発見はなかった。

ただ、非常に正直に書いてみたから、少しだけ癒やされた。

書くことによってなんとか生きていくタイプの人間なのだろう。

このオリジナルで、おかしな人生を生きていく。

10年後に夢を配置しながら、生きていくしかないから。