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Baby教室シオ

偉人『平野レミ氏』

2026.06.19 00:00

発想力に関する提案記事を書いて6週目、それに合わせて偉人記事も発想力に長けた人物を取り上げてきたが、偉人ではなかなか発想力がある人の凄さが分からないという小学校2年生の意見を受けて、現代における発想力豊かな人物を取り上げようと考えたのである。ゆえに私の脳裏に真っ先に浮かび上がったのが日本を代表する料理愛好家、タレント、シャンソン歌手として活躍している平野レミ氏を起用することにした。

彼女のキャラクターといえば忙しない様子で早口にコミカルな発言をし、そこに愛らしい天然な一面があったかと思えば、周りの目を気にせず大胆な行動を起こす自由さがある。私は彼女の細部にとらわれず料理をする姿や豪快でその場を一気に明るくするエネルギーギッシュさ、何より奇抜な発想が本当に輝いて見える。あれやこれやと考え理詰めで生きている自分とは真逆の人物だからこそ惹かれるものがあるのだ。

今回はそんな彼女の「奇抜な発想」「おおらかさ」「自由奔放」「豪放磊落」さに焦点を当てたいのだが、それよりも彼女のエピソードでどうしても取り上げたいことがあるため今回はそこだけにフォーカスして記事を書くことにあする。ちなみに彼女が出したCDの中に「シャンソン・ド・レミ」という曲があり、我が家では子供が料理をするときによく歌っていた明るく楽しい曲である。

平野レミ氏は1947年3月21日東京都台東区に生まれ、千葉県松戸市で育つ。中学では成績が良く、その後進学校として知られる 東京都立上野高等学校 に進学したが、受験中心の校風になじめず中退。この際の父と娘のやりとりは私にとって大変興味深いエピソードである。ここからはレミ氏を改め無礼であるが「レミ」と呼び捨てにし記事を記す。

レミは高校に進学したものの学校へ通わず公園で時間を潰し、学校を中退する決意をした。その決意を伝えるため正座をし父と向き合った。「学校を辞めたい」というレミに対し父の威馬雄は事情を聞かずに「やめろ」と言った。そして「好きなことを徹底的にやれ」とも言われたそうである。その後レミは当時の父威馬雄の声が今だに耳に残り感謝しているとインタビューで答えている。

読み手の皆さんに自問してもらおう。優秀な娘が折角合格した進学校をある日突然辞めると言い出したら、理由も聞かずにすんなりと受け入れることができるであろうか。たいていの親は真っ先に「何があったのだ」と理由を聞くはずである。そして理由を聞いた上でどうすれば良いのかを子供と共に考えたり、アドヴァイスをしたり、または「辞めるなど豪語道断だ」と烈火の如く怒りをあらわにするかもしれない、いや最近の親御さんは感情を表には出さずオロオロするのではないだろうか。しかし父威馬雄は理由も聞かずにすんなりと娘の言葉を受け入れ、キッパリと娘の後押しを言葉にした。

なぜ父威馬雄は娘の言葉を受け入れたのであろうか。そこが私にとっては大変興味深く学びがぎゅっと詰まった宝の山である。宝の山に入山したからには何か得るものを得て下山したいものである。という理由でレミと父威馬雄の間に横たわる心温まる思いと親が真実を見極めたときに、色々なしがらみを放棄できる潔さがどこからくるのか読みとってほしい。今回はこのエピソードを3つのポイントにわけて解説する。

まず1つ目は父威馬雄は娘レミの決断が一時の気分任せではなく、真剣に考えてのことだったと感じ取ったことだ。後にレミ氏は「初めて正座して父に訴えた」と語っている。おそらく普段の娘とは明らかに様子が異なり、娘が本当に苦しんで出した結論が高校を辞めるということなんだと察したことが素晴らしい。

2つ目は娘の性格をよく理解していたことである。レミ氏は子供の頃から自由快活で外遊びが大好きで、非常に自由奔放でじっとしていることや管理されることが苦手だったと自ら語っている。よって学校の受験競争的な雰囲気にはそぐわないと父威馬雄は感じていたのかもしれない。その上で無理に学校へ縛りつけても幸せになれないと考えたのだろう。いやもしかすると以前から薄々分かっていたのかもしれない。そうでなければ文化学院への進学を即座に提案することはなかったであろうし、ましてや「好きなことを徹底的にやれ」とは言わなかったのではないだろうか。

3つ目はレミの才能や情熱を重視していた可能性である。実際、高校中退後レミは自由な校風で知られる 文化学院 に進み、シャンソンに打ち込んだ。父威馬雄は学歴そのものより「娘が何に夢中になれるか」を重視していたのではないだろうか。そうでなければ当時としてはかなり珍しい高校中退の大胆な決断を親として受け入れることはできなかったであろうし、「好きなことをいっぱいやれ」と背中を押したりはしなかったであろう。

つまり父威馬雄「理由を聞かなかった」のは無関心だったからではなく、むしろ逆で娘のことを普段からよく見ていたからこそ、長々とした説明を求めずに娘の本気度を理解できていたと考える。そして「本人が自分の人生を選ぶべきだ」という信念が父威馬雄には強かったのだろう。私ならとにかく本人に辞めたい理由を根掘り葉掘り聞き出した上で、様々な選択肢を提示し人生を決断するよう求めるに違いない。父威馬雄のように娘のことを深く理解し、大きな懐で全てを包み込むことができたかは懐疑的である。ましてや子供の進学に関係することであれば即座に「はい、そうですか」と受け入れることはできないだろうし、新しいステージへの励ましの言葉を送ることは難しい。また理由を聞いても「なるほど、そういうことだったのか」と合点がいき、受け入れるまでは相当時間がかかるのではないかとさえ感じてしまう。当事者となれば子供の幸せを最優先し、子供の決断を受け入れることが良いと頭では理解していても、自分の人生経験が邪魔をして葛藤するだろう。こう考えると父威馬雄と娘レミの関係性は太くしっつかりとした絆で結ばれていたと容易に推測できる。私も子供との絆には自信があるが、平野家の父と娘のようなものが築けているのかと問われたら彼らの足元にも及ばない。

そこでだ。父威馬雄はなぜそのような行動をとることができたのか、それこそが娘レミが自由に人生を謳歌したことと深い関係があったと考えている。父平野威馬雄は、アメリカ人の父と日本人の母のもとに生まれ、戦前・戦中には混血であることで偏見や差別も経験しており、戦時下ではスパイ容疑をかけられるなど相当精神的、肉体的に追い詰められる経験をした。社会の「普通・一般的」から外れる苦労を身をもって経験した人だ。だからこそ、「世間が良いと言う道が、その子にとって本当に良い道とは限らない」という感覚を持っていた。つまり父威馬雄自身が「型にはまらない人生」を歩んだ人物だったからこそ、「世間の考える普通という型にはまらなくても良い、そんなことよりも自分自身のしたいことを思いっきり振り切れるくらいやるべきだと考えていたに違いない。そんな父の思いをしっかりと汲み取り、娘レミはその期待を裏切らない人生を謳歌している。人を「あっ‼️」と驚かせるほどのアイディアを料理で表現し、彼女の料理の面白さや奇抜さを楽しみ方を私は真似をしたくなるのだ。美しい料理を披露する料理人は数多といるが、平野レミ氏のように純粋に面白みと大胆で奇抜な発想力を持つ大人はそういない。これは娘を型にはめず、徹底して自由を尊重した父威馬雄の功績であり、その父の思いに応えた娘レミとの関係はやはり親であれば知っておいて損はない。「この父ありてこの娘あり」これ以上の父娘を褒め称える言葉があるだろうか。これからも平野レミ氏を通して親子関係を見つめ直す記事を記したいものである。勿論彼女の作る料理を作っても良し、彼女のシャンソンを聴いても良しであるが、平野レミと父威馬雄の人生から豊かなスパイスび分とを得て、子育て真っ最中の方には豊かな味わいと芳醇な香りを出す親子の人生を料理して欲しいものである。