メモ6月14日/外せない人権@シガ食堂
2026年6月14日シガ食堂で行われた哲学対話。選出された2つのテーマは「ハズレとは」「外せない人権とは」だった。
ふりかえる上でもっとも重要なことが次のマルティン・ニーメラーの言葉による詩に表現されている。
ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。
私は共産主義者ではなかったから。
彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。
社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。
労働組合員ではなかったから。
彼らが私を連れさったとき、
私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。
「人権」とは「自由」のことであると言っても過言ではない。1789年フランス革命で生まれた「基本的人権」という概念はとりも直さず、権力から市民の自由を守るという意図を含んでいる。
「自由」は、ほんの少し「健康」に似ている。私たちは病気になると健康のありがたさを具体的に感じる。私たちが手にしている「自由」は、先人たちの苦労と奮闘に負っている。自由を勝ち取るために多くの犠牲を払った人達がいた。そういうことを、私たちは自由であるときには、忘れがちになる。
病気になってから休養するより、その前に兆候を感じたときに休息する方が賢明だ。それと同じように、自由が奪われそうな兆候に気づいたら、声を上げなければならない。
「ハズレとは」の対話の中で20代の参加者から「ハブられる(のけ者にされる)」ことを怖れて、他人基準で「外したくない」という心理を持つ人が周囲には多いと発言があった。また、対話のテーマに選出されなかった候補の中には「自由」「規制」があった。なんとなく社会の不穏な雰囲気を多くの参加者が気にし始めているように感じた。
上記の詩から学ぶ要点は、「私」から「私たち」に視点を広げることだ。誰を「私たち」とするのか。仏陀は「生きとし生けるすべてのもの」を「私たち」と考えた。
社会の健康維持のため、「手遅れに」ならないように、声を上げる機(自由)を手放してはいけない。