Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

ほしのやしろ

神話はなぜ残ったのか

2026.06.17 20:55

神話はなぜ残ったのか 

〜スターシードと神々の苦悩の物語〜 

時系列を超えて、今の時代も残っている神話ですが、万人に必要ないと考えられていますが、

今に残っているのは、残る必要のあるものだからではないかという仮説を私は持っています。


 子供の頃、私は神話を読むたびに不思議でした。

 なぜ神様は喧嘩をするのだろう。

 なぜ泣いたり怒ったりするのだろう。

 神様なのだから、 もっと完璧な存在なのではないか。 神様と私たちとどう違うの?

私にとって神話は人間の物語にしか思えなかったからです。


 しかし、いい大人になり、 神話を別の視点から眺めるようになった時、 私はある可能性を感じるようになりました。 

 もしかすると神話は、スターシードたちが  「人間として生きる難しさ」 そのものを記録したものなのではないか、と。


 神々は完璧ではなかった。

なぜなら、スターシードが人として転生した姿の初期の記録だったから……

そう考えると腑に落ちました。


  日本神話には数多くの対立があります。

 たとえば、 天照大御神と素戔嗚尊、 大国主の国譲り、海幸彦と山幸彦 、 

神々は悩み、怒り、 傷付き、 迷います。

 まるで私たち人間のようです。

 もし神々が完全無欠な存在なら、 このような物語は必要なかったかもしれません。

スターシードたちの今後待ち受ける苦難の打破方法を知らせたかったのではないでしょうか。

神話には、 何度も何度も葛藤が描かれているからです。

 

私はそこに、 「魂が成長する過程」 が描かれているように感じるのです。


ホツマツタヱは偽書だと言われていますが、数々のおまじないや生きるという心得が何度も繰り返されます。


 ホツマツタヱには興味深い記述があります。

 ハタレとの戦いの中で、 天照大神は 「殺めるなかれ」 と説く場面があります。

 敵に見えても人である。 相手を滅ぼせば、 自らの魂も傷付く。 その考え方は現代にも通じます。

 

私たちは人生の中で、 誰かを敵にしたくなることがあります。

 しかし本当に向き合うべきものは、 相手ではなく、 自分の中の怒りや恐れや悲しみなのかもしれません。

 神話の戦いは、 外の戦争ではなく、 魂の内側で起こる葛藤のフラクタルなのではないでしょうか。


 また、木花咲耶姫の話は有名です。夫への裏切りの疑いを晴らすために産屋へ火を放ちます。 

 私は、これは不思議な話というくくりではなく、当てつけや勇気の話しでもない。

 そこにあるのは、自分自身への信頼と自信の話しだと思いました。

 人は他人から信じてもらいたいと思います。

 けれど本当に必要なのは、 まず自分が自分を信じること。

 木花咲耶姫は、 その象徴なのかもしれません。

 

神話に登場する神々は、 もしかすると、 人間として生きることの難しさを知り、伝えていくことが必要だと思ったのではないでしょうか。

孤独。 誤解。 葛藤。 使命。 選択。 それらを経験しながらも、 それでも前へ進む。


 神話とは、 未来を生きる魂たちへの手紙なのかもしれません。

必要ないなら、この長い歴史の中でどこかで淘汰され、全て途絶えてしまうでしょう。

初期の形でないにせよ、形を変えて今に残っています。

また、日本には神社もあります。

時系列的なフラクタルで、神話はいまだ、色濃い紋様を刻んでいるのだと思います。


 ホツマツタヱには、 肉食に関する記述があります。

稲にイナゴが発生して収量が減ったのは、人が肉を食べたからだ、というような記述がありました。

 もちろんそれをどう解釈するかは人それぞれです。

 けれど私は、 肉食がだめだとか善悪の話ではなく、 バランスの話として読むことができます。

肉を食べた、その分が代わりに虫に食べられるような。 

地球は巨大な生命体です。

 私たちの行動は、 地球全体の循環の中にあります。

 食べること。 育てること。 奪うこと。 与えること。 

 すべてが循環の一部です。 植物は食べられても種を残します。 

 動物もまた命を繋ぎます。

 重要なのは、 何が正しいかではなく、 どのような意識で関わるかなのかもしれません。 



 フラクタルに見る神話 

 宇宙で起きていることは、 地球でも起きている。 

 地球で起きていることは、 人間の中でも起きている。 

 神話で起きていることは、 今の私たちの人生の中にも起きている。

 だから神話は古くならない。 

 何千年経っても、 私たちは神話の続きを生きているからではないでしょうか。


神話は過去の物語ではありません。 それは今を生きる私たちの中で、 今も繰り返されている物語です。 天照大御神も、 素戔嗚尊も、 木花咲耶姫も、 遠い昔の神様ではなく、 私たち自身の魂の中に存在する一部分の姿なのかもしれません。 

 だからこそ、 太古から語り継がれてきた言葉には意味がある。 


 意味があるから残ったのではなく、 今も必要だから残っている。 私はそんな気がしています。